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东瀛论剑:日本民俗学的巅峰对决

引用:
原帖由 叶涛 于 2010-8-2 21:39 发表
因此,爱东虽然在神奈川做了那样一个鼓舞人心的演讲,但,其中谈到的中国民俗学的代季革命恐怕言之过早了...
当两代人使用了很不一样的两种研究范式的时候,革命已经发生了,
尽管这样的革命还没能取得彻底的成功,
至少,我们已经不可能倒回去用第二代学者的研究范式来从事民俗研究了。

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最近,田仲一成先生对叶兄的牛郎织女研究范式有一段评价,他没给我电子版,我回头拍一张照片贴上来给你看看。
他在其中就提到这个问题,他认为这种研究是中国过去很少见的,叶兄论文中的问题,是过去的学者很少注意的。
这就说明,研究范式确实已经不一样了。

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同样的道理,当我们这一代已经可以“被总结”的时候,事实上已经到了第四代了。

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参加7月31日会议的中国学者,除了我和小人家妹妹之外,我知道的还有筑波大学的余志清博士,以及东京大学留学生毕雪飞女史。
她们中的任何一个,都比我更有资格来描述这个盛会。
因为四位中国学者中,就我不会日语。

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引用:
原帖由 施爱东 于 2010-8-3 15:05 发表
参加7月31日会议的中国学者,除了我和小人家妹妹之外,我知道的还有筑波大学的余志清博士,以及东京大学留学生毕雪飞女史。
她们中的任何一个,都比我更有资格来描述这个盛会。
因为四位中国学者中,就我不会日语。 ...
很关心讨论的情况,让小人家、毕雪飞等先把听会的情况发表出来,供大家了解。我会给毕雪飞邮件。

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引用:
原帖由 施爱东 于 2010-8-3 12:43 发表
最近,田仲一成先生对叶兄的牛郎织女研究范式有一段评价,他没给我电子版,我回头拍一张照片贴上来给你看看。
他在其中就提到这个问题,他认为这种研究是中国过去很少见的,叶兄论文中的问题,是过去的学者很少注意 ...
刘瑞琳已经安排手下给田仲先生寄书了,请转告田仲先生注意查收。

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今回のシンポジウムの目的と「理論」「思想」について

引用:
原帖由 王京 于 2010-8-2 09:36 发表


顶一个!期待中。
王京さま!お久しぶりです。いつか時間ある時にでも翻訳していただければありがたいです 甘えてゴメンナサイ
中国民俗学はこのような活発な議論の場があって羨ましいです。

さて、今回のシンポジウムの目的は、福田アジオを批判し、それに打ち勝つことを目的としたものではありません。福田アジオに代表される20世紀民俗学を継承するのか?それともそれから離れられるのか?を、観衆に自覚させることを目的にしています。当日、用意したPPTには下記のように目的を記しました。

「今回の企画は、「『20世紀民俗学』を無意識、惰性で継承する」という方向性を否定し、「『20世紀民俗学』を意識的に継承する」という方向性と、「『20世紀民俗学』を捨てて新しい民俗学を構築する」という方向性の異同を確かめ、両者の相克や軋轢を顕在化させることにより、今後の民俗学の議論のステージを転換することを目的としている。」

「20世紀民俗学」とは、20世紀に柳田国男たちによって始められた日本の土着文化の理解とその復興運動、そして、その学問化を進めた運動を指します。それは、ある時代の要請によって生成した「時代の産物」であり、当初は「野の学問」として出発し、100年近い時間の経過とともに体系化され、組織化され、そして制度化されました。その最終段階で、福田先生が大きな影響力をもちました。

現状の日本の民俗学の危機は、福田先生も私と同じく自覚しているものです。彼の現状認識は以下の通り。これも当日のPPTに載せ、福田先生から同意を得ました。

「福田氏は、20世紀民俗学を捨てないけれども、現状の20世紀民俗学に必ずしも明るい未来を見ているのではない。むしろ、いずれ必ず来たる「民俗学の敗北」を一途に抱きしめ、20世紀民俗学と一緒に殉じる覚悟を決めている。この覚悟が、実はその後継であるはずの我々には共有されていない。そこが大問題。福田氏は、多分、これまでの民俗学の目的や方法、対象を捨てることに大反対する。その目的や方法や対象が、現代にそぐわない、有効ではないものになっていたとしても、それこそが「民俗学」なのだと主張するであろう。
歴史学は永遠に続く(レトリック上)が、民俗学はある時代の要請によって生成した「時代の産物」なのである。だから時代が変って必要性が無くなれば、民俗学は滅んで当然なのである。だから延命措置にも似た、全面的に学問を根幹から再構築する必要ない。民俗学は、潔く消えて無くなるべきである…。」

このような考えを起点として、議論が開始されました。
簡単にいうと、第一世代を乗り越えた第二世代の民俗学は、歴史志向が強烈である。とくに福田先生の場合、民俗学=歴史学という構図をけっして捨てない。世界の民俗学が、多様な定義と方法、対象を扱っているのに対し、日本民俗学は、そのような歴史主義が足枷となって新しい転回を迎えられないということです。これは福田先生も認めるところですが、福田先生にしてみれば、それならば、時代に必要とされていないのだから、あるいは時代に適応できないのだから日本民俗学は「滅んで当然」ということになるわけです。そして、歴史を捨てた新しい民俗学へと転回したいならば(革命を起こしたいのならば!という意味)、民俗学ではなく別の学問を作りなさいとなるわけです。しかし、アメリカ民俗学もドイツ民俗学も、定義や研究方法を格段に変えて、多様な民俗学像を創造してきたのに、日本民俗学だけが非常に狭い歴史主義に縛られ続けるのはおかしいというのが私の反論です。

施愛東先生から下記のような意見をいただきました。

「如果这样,菅丰的革命就一定是失败的。
所以,菅丰要想取得胜利,他必须有更彻底的思想准备,
他必须更彻底地反抗福田的知识体系。」

これは誤解があるようです。第一に、今回の試みは、まだ「革命」ではないこと。先に述べたように、20世紀民俗学を無自覚に継承する人びとに警鐘を鳴らすというものです。その点では、福田先生も同意見。福田先生が最後に作り上げた20世紀民俗学に、福田先生自身が明るい将来を見ていないのですが、多くの日本民俗学者、そして、来場していた観衆はその危機感がないのです。その点を問題化するというのが、福田先生との共通理解です。

それと、20世紀民俗学が成立して以後、その日本の民俗学自体に、すでに簡単に「思想」と呼べるものは存在しません。実は、福田さんも歴史主義以上の「思想」と呼べるものはありません。そして、そのような歴史主義を私たち日本の学者は、すでに「思想」とは呼びません。それは、下記の叶涛先生の「理論」に関する疑問にもあてはまります。

「于2.5代或第三代的菅丰教授,只听过他的田野性质的学术报告,看过《民间文化论坛》(?)发表的译文,对于他的理论框架知之甚少。不知他是从哪些角度攻击福田先生的。
哪位精通日文的学界同仁,费费心思,做一点为他人做嫁衣的事情,翻译几篇菅丰教授代表性的理论著述,我们应该早一点了解日本以菅丰为代表的这一代民俗学人。」

大方の中国の民俗学研究者が誤解しているのですが、日本の民俗学には「理論」と呼べるほどの「理論」はもともと存在しません。いまの日本民俗学者で、いまの民俗学独自の理論を挙げられる人がいたら、それはむしろ「理論」ということに不勉強な人か、日本民俗学史を知らない人でしょう。福田先生の歴史主義の考え方を、「理論」と表現できないこともないですが、それは中国民俗学者がよく見れば、それほど理論と感じないものでしょう。それは、「思想」と同じく、現在、一般的には「理論」とは日本ではいわれません。

中国民俗学者とつきあっていて、よくいわれるのが「日本民俗学は調査データが多くて理論が少ない」という不満です。これは、両国のそれぞれの民俗学がおかれた歴史、現在の状況に大きな違いがあるものだと思います。多分、日本民俗学の多くの学者が、中国の理論的発表を見るとかなり違和感を感じるでしょう。それも、両国の学問化の歴史過程に大きな違いがあるからです。

実は日本では1960~70年代あたりに、民俗学の学院化を推進するなか「民俗学が独立科学ならば理論をもたねばならない!」という議論がありました。しかし、柳田国男の調査資料論(重出立証法や周圏論)以外に、理論らしい理論を導き出せなかったのです。そして、それらは今見るととても理論といえる代物ではないのです。その資料論に反論して、福田先生は「地域民俗論」や「伝承母体論」を出すのですが、それも現在ではさすがに理論とはいえないものです。村落社会が崩壊し、社会流動的になった現在では、その有効性も失われていて、そのような「論」を前面に出して、民俗学を進める無邪気な民俗学者はいなくなりました。それは1970年代には意味ある議論だったのでしょうが、その後数十年で陳腐化したわけです。1990年代にもなると、そういうレベルでの「理論」研究は、私に限らずなくなってしまい、現状、「理論」ということを真剣に扱う研究者はいなくなりました。そして、理論というと過去の学説史を読み直す「学史研究」になってしまっているのが、日本民俗学の現状です。

日本民俗学の第二世代が活躍した1970年代は、ある意味幸せな時代でした。本質主義的に民俗をとらえることができたし、さらに村落というものの自己完結性を信じることができる時代でした。「理論」というものを簡単に議論できる時代でした。しかし、その後のポストモダン期に、それらの幻想は打ち砕かれて、まともな研究者ならばそのような議論を、現在持ち出すことはありません。今回は、福田先生を主題にしたので「地域民俗論」や「伝承母体論」を持ち出せましたが、そのような場以外に持ち出すのはとても躊躇されます。要するに、福田先生が「理論」化したと中国で思われている研究内容は、もうすでに日本民俗学では「理論」として研究する現在的な意義を失っているということです。だから、逆に言うと自らの理論的な開発ができない分、理論のようにみえる従来の歴史主義に、いまだ無自覚に惰性で頼る人が日本に多いのだと思います。

私も1990年代に一般に環境民俗学と呼ばれる新しい分野を開拓しましたが、それは新しい「理論」ではなく新しい「観点」に過ぎません。そこでは歴史主義と同じ歴史的手法を用います。しかし、その際、私の理論のバックボーンとなっているのは、commons理論など、むしろ政治学や社会学、経済学などで学際的に共有される理論です。昨年、アメリカの政治学者・エリノア・オストロム (Elinor Ostrom)が、このcommons理論でノーベル経済学賞を取ったのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

この理論には、日本民俗学では、私以外に誰もとりくんでいませんが、全社会的に見れば大きな理論です。あと私は、構築主義的理論の影響を強く受けていますが、それも民俗学独自の理論ではありません。1990年代以降、学問のボーダレス化が進行するなか、高度な研究を求める先鋭的な研究者は、他学問の領域に進出し、そこから吸収して自己の研究に応用する人びとがほとんどです。

民俗学独自の理論としては、1990年代からfolklorism(民俗主義)の考え方がドイツから日本民俗学に導入されました。しかし、それも構築主義的な方法の一つです。これは、理論としては、20世紀民俗学の本質主義を乗り越えるものとして重要なのですが、それは往々にして結論が決まったステレオタイプの研究になりがちである点が批判されます。私は、いま民俗主義を乗り越えるために、「公共民俗学」という民俗学の方向性を模索しています。それは中国民俗学でも既に紹介されているアメリカ由来の「公衆民俗学」とは若干異なる民俗学の方向性で、日本民俗学が本来持っていた「野之学問」の性格を発展させ、現代の公共性論のなかに位置づけようというものです。そこでは学者の実践論について論じています。その研究は今科研をとって研究遂行中ですので、数年後には成果がでてくると思われます。

以上のように、日本では1990年代以降、理論と呼べるほどの理論の議論はなされてきませんでした。それは、理論というものを無邪気に提示できないほど、日本の社会状況の変化や民俗のおかれた位置が変化したことに起因します。それは日本に限らず、アメリカ民俗学でも同様です。2004年10月アメリカ民俗学会(AFS)の研究大会での会長招待本会議講演で、世界的に著名な民俗学者・Alan Dundesは、“Folkloristics in the Twenty-First Century(21世紀の民俗学)”(Journal of American Folklore118(470) 2005)と題する講演をしました。そのなかで、Dundesは、世界レベルで進行する、憂慮すべき民俗学の衰退状況を述べ、さらにアメリカ民俗学の深刻な状況、それに陥った理由について激しく述べ立てました。その重要な要因の一つとして、アメリカ民俗学に「グランド・セオリー」が欠如していることを指摘しました。さらに、翌年2005年のアメリカ民俗学会の研究大会でのフォーラムで“Why is there no ‘Grand Theory’ in folkloristics?(なぜ民俗学には「グランドセオリー」がないのか?)”が開催されたほどです。つまり、日本に限らず、現代社会において、民俗学は独自の理論化が難しいということです。これが、日本やアメリカで、民俗学の学問としての独自性や、学問の存在意義に関わる問題になっています。

多分、「理論」の問題は、それぞれの国の民俗学でとらえ方が異なる問題です。それを突き詰めると、それぞれの国の民俗学のとらえ方に、根本的な乖離が存在していることに気がつかされるでしょう。それぞれの国の民俗学が置かれた歴史や社会背景や現状を理解しないでは、それぞれの「理論」化への積極的な意欲と、その反対の失望とを捉えることは困難です。かつて、アメリカ民俗学とドイツ民俗学の間に横たわる、異なる価値や方向性、学問の帰結法が、共通の尺度で理解できない状況を、アメリカ民俗学者・バーバラ・カーシェンブラット-ギンブレットは「共約不可能性(incommensurabilities)」と表現〔Kirshenblatt-Gimblett 2000:1-3〕しました。多分、日本と中国の民俗学の間には「理論」をめぐって、「共約不可能性」が存在するのだと思います。この問題は、今後の中日民俗学の間で議論すべき重要な論点になるでしょう。

いま、日本の民俗学は統一された理論や方法のない拡散期にあります。その状況は福田先生にいわせると「頽廃」となるのですが、私は福田先生とは正反対に、この状況を「頽廃」ではなく、新しい民俗学の胚胎期であり、それ生み出すために雌伏して機会をうかがう重要な時期だと考えています。多分、これからの日本民俗学は内部で、いくつもの民俗学が、その正統性を競いあうでしょう。しかし、現状、今回のシンポジウムのように、反対の意見をもつ人間が相対して議論する場は、ほとんど形成されないので、それぞれが主張して終わりということにもなりかねません。今回、敢えて対抗の構図をとったシンポジウムは日本でも特殊なものでした。その点では、今回のシンポジウムは有意義、かつ意欲的なものといえるでしょう。
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奉命将菅丰教授的长文翻译如下:

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首先非常羡慕中国民俗学能有这样积极展开议论的舞台。

本次研讨会的目的,并不在于批评并战胜福田亚细男。而是希望能让观众能够对以下问题产生自觉:对于以福田为代表的20世纪民俗学,我们到底是要继承,还是要远离?在当天准备的PPT里,关于研讨会的目的,是这样描述的。

    “计划本次研讨会的目的,在于确认“将对所谓20世纪民俗学的无意识的惰性继承,转变为有意识的继承”,与 “舍弃所谓20世纪民俗学,构造新的民俗学”这两种取向间的异同,凸显出二者的冲突与矛盾,为今后民俗学的议论开创新的平台。”

所谓20世纪民俗学,是指20世纪由柳田国男等先驱者推动的日本本土文化的理解与复兴运动,以及使之学问化的运动。这是当时应时代的要求而产生的“时代的产物”,最初作为“在野之学”出发,经过近100年的发展而逐步体系化、组织化和制度化。在其最终阶段,福田先生的影响力是巨大的。

对于现今日本的民俗学面临的危机,福田先生与我拥有同样的认识。他的基本认识可以整理如下,这在研讨会当天的PPT上也曾演示过,并得到了福田先生的认同。

   “福田氏虽然不会放弃20世纪民俗学,但也并不认为20世纪民俗学能够有一个光明的未来。不如说他已经下定了接受迟早必将来临的“民俗学的失败”,与20世纪民俗学同归于尽的决心。而这一决心,正是本该成为其后继者的我们所不具备的。问题也正在于此。 福田氏也许会激烈地反对舍弃民俗学一直以来的目的、方法和对象。哪怕这个目的、方法与对象,已经与现代脱离,已经失去了作用,他也会强调,这才是真正的“民俗学”吧。
    历史学(在修辞上)永远不灭,但民俗学只是应时而生的“时代的产物”而已。当时代转变,其必要性不再存在时,民俗学当然会消失。所以,没有必要以所谓全面重构学问体系来苟延残喘。真正到了那一天,民俗学应该凛然高洁地离开。”

[ 本帖最后由 王京 于 2010-8-5 10:26 编辑 ]

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议论正是以此为起点而展开的。

简单点说,超越第一代的第二代民俗学人,其历史倾向十分浓厚。特别是福田先生,一直坚持“民俗学=历史学”这一图式。在各国民俗学正以多样的定义与方法面对着自己的研究对象之时,日本民俗学却因为其“历史主义”枷锁的束缚,无法产生新的变化。福田先生自己也承认,在他看来,这种状况正说明日本民俗学已经不为时代所需要時代,已经无法适应时代,那么“理应消失”。如果要舍弃历史而向新的民俗学转变,也就是说如果要发起革命,不必拘泥于民俗学,完全可以独立去创造另一门学问。

而对此我的反论是:美国或是德国的民俗学,都通过改变定义与研究方法,使得民俗学焕发出新的生机。只有日本民俗学还被束缚与狭隘的历史主义之中不可自拔,这难道不显得奇怪吗?

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施爱东先生提出了如下意见:

    “如果这样,菅丰的革命就一定是失败的。
所以,菅丰要想取得胜利,他必须有更彻底的思想准备,
他必须更彻底地反抗福田的知识体系。”

这里似乎有几个误解。

首先,这次研讨会还并非“革命”。其目的如上所述,是希望为惰性继承20世纪民俗学的人们敲响警钟。在这一点上,福田先生也是同样的意见。在福田先生手中最终完成的20世纪民俗学,福田先生自己对其未来并不抱希望。但大多数日本民俗学者,以及当天与会的观众却没有这样的危机意识。应该凸显出这一问题,这也是福田先生与我的共同认识。

其次,20世纪民俗学自成立以来,日本民俗学之中,并不存在能够简单称之为“思想”的东西。即使福田先生自己,也并不具有历史主义之外的所谓“思想”。而历史主义,在我们日本学者眼中,算不得“思想”。而关于以下叶涛先生提出的“理论”,情况也是一样。

    “于2.5代或第三代的菅丰教授,只听过他的田野性质的学术报告,看过《民间文化论坛》(?)发表的译文,对于他的理论框架知之甚少。不知他是从哪些角度攻击福田先生的。哪位精通日文的学界同仁,费费心思,做一点为他人做嫁衣的事情,翻译几篇菅丰教授代表性的理论著述,我们应该早一点了解日本以菅丰为代表的这一代民俗学人。”

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大多数中国民俗学研究者都有一个误解,其实在日本民俗学中本来就没有能够称得上“理论”的理论。如果当下的日本民俗学者中,有哪位能够列举出所谓民俗学独自的理论,那么他一定是对“理论”知之甚少,对日本民俗学史缺乏了解。福田先生所谓历史主义的思考方式,当然也并非完全无法称为“理论”,但中国民俗学者如果仔细鉴别,大概也不会觉得其中有太多理论成分吧。正如不称其为“思想”一样,在日本一般的也不称其为“理論”。

与中国民俗学者打交道时常听到的对日本民俗学的不满是“调查仔细但理论不足”。我以为这是因为两国民俗学,无论是历史还是现状,都有较大差别。对于多数日本民俗学者而言,中国民俗学所谓理论性的论文报告,大都会觉得难以接受。这也是因为两国学问的历史过程大有不同。

日本在1960~70年代民俗学学院化的发展中,也有意见说“民俗学要想成为独立科学,必须拥有自己的理论”。但除了柳田国男的调查资料论(重出立证法、周圏论等)以外,并没有得出像样的理论。而柳田的那一套,在今天看来根本算不上理论。福田先生的“地域民俗論”、“传承母体论”等,正是在反对以上资料论的基础上提出的。但这些,在今天也称不上理论。在村落社会解体,社会流动性增大的今天,这样的“論”已经失去了其有效性,已经没有民俗学者会天真到以之为全面指导而展开研究了。这些讨论在1970年代,也许是有其意义的,但在之后的数十年中早已变得迂腐。到了1990年代,只是这种程度的“理論” 研究,不只是我,在整个学界都已难以见到,没有人还会一头埋在“理論”中了。而理论研究,更多是在反思过去的学说史,即“学史研究”中展开,这便是日本民俗学的现状。

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日本民俗学第二代活跃的1970年代,在某种意义上是民俗学的幸福时光。那是一个既可以从本质主义来看待民俗,又可以相信村落具有所谓独立发展性,还可以轻松地讨论所谓理论的时代。但在随后到来的后现代时代,这些幻想都被击得粉碎, 真正的学者已经不会再重复那样的讨论了。这次研讨会因为是以福田先生为主题,所以才会提到“地域民俗論”、“传承母体论”。换一个场合,我是不会去提的。总之,中国的学者们认为经福田先生“理论”化的研究内容,在日本已经失去了作为“理論”而去研究的现实意义。也许正因为在理论开拓方面缺乏可能性,日本才有许多学者直到今天还不自觉的、惰性地依赖着看上去仿佛理论般的历史主义吧。

我在90年代开辟了一般被称为环境民俗学的新领域。但这并非新的“理論”,只是新的“视点”而已。使用的,是与历史主义相同的历史方法。而我理论上的核心,是为政治学、社会学、经济学等多学科领域共有的commons理论(注:commons指公共性)。或许大家已经知道,去年,美国的政治学家埃莉诺•奥斯特罗姆(Elinor Ostrom),正是凭借这一理论而获得了诺贝尔经济学奖。

这一理论,虽然就日本民俗学而言只有我在响应,但就全社会而言,是一个宏大的理论。另外,对我产生了重大影响的还有建构主义。这也并非民俗学独自的理论。90年代以后,学问的边际日益模糊,几乎所有有志于深化研究的前沿学者,都在向其他学科领域寻求养分,运用于自己的研究。

作为民俗学独自的理论,90年代从德国引入了folklorism(民俗学主义)。但这也是建构主义的方法之一。作为理论,在超越20世纪民俗学的本质主义上有着重要意义,但也因为其研究往往陷入结论先行的同一模式而颇遭诟病。为了超越民俗学主义,我正在“公共民俗学”这一方向摸索前行。与已经在中国民俗学中有所介绍的美国起源的“公众民俗学”有所不同,旨在进一步发展日本民俗学本来具有的“在野之学”的性质,并在现代的公共性论中重新定位。其中涉及到学者的实践问题。这一研究现在正作为文部省科研经费的课题进行,应该在数年后能够拿出成果。

[ 本帖最后由 王京 于 2010-8-5 10:32 编辑 ]

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如上所述,在日本,90年代以后没有展开任何关于所谓理论的讨论。这是因为日本的社会状況、以及民俗所处的地位变化之剧,使得我们无法天真地展示什么理论。不仅日本,美国民俗学也是一样。2004年10月美国民俗学会(AFS)的研究大会上,世界著名的民俗学家阿兰邓迪斯(Alan Dundes)应会长之邀,做了题为《Folkloristics in the Twenty-First Century(21世纪的民俗学)》(Journal of American Folklore118(470) 2005)的大会演讲。邓迪斯在演讲中,指出了民俗学在世界范围内不断恶化的、令人忧虑的衰退,特别就美国民俗学深陷其中的严重状况及其原因,略显激动地作出了指摘。他认为一个重要的原因是美国民俗学缺乏“宏大理论(Grand Theory)”。第二年2005年的美国民俗学会研究大会上,甚至召开了题为《Why is there no ‘Grand Theory’ in folkloristics?(为何民俗学没有宏大理论?)》的论坛。现代社会中民俗学想要提出独自的理论,非常困难,这一状况并非日本所独有。在日本和美国,这已经成为与民俗学作为学科的独立性,或是学科的存在意义等紧密相关的问题。

也许“理论”问题,因各国民俗学的把握方式而各不相同。但认真思考,不难发现各国民俗学间的把握方式存在着根本性的乖离。如果缺乏对各国民俗学所处的历史、社会背景和现状的了解,我们无法理解其在“理论”上的积极姿态,或是对“理论”的心灰意懒。美国民俗学家芭芭拉•基尔森布拉特-基姆布拉特认为美国民俗学与德国民俗学在价值观、方向性及学问的归结方式上,具有以共同标准无法理解的根本性不同,并将之表述为“不可通约性(incommensurabilities)”(Kirshenblatt-Gimblett 2000:1-3)。也许日中民俗学之间,围绕着所谓“理論”,也存在着这种“不可通约性”。这应该是今后中日民俗学在展开讨论时的重要论点。

现在,日本民俗学处于没有统一理论和方法的扩散期。这一状況在福田先生看来,是“民俗学的颓废”,但我正好相反,认为这不是颓废,而正是为了创造新的民俗学而雌伏、并伺机而动的孕育期。今后,在日本民俗学的内部,也许会出现多种民俗学,相互竞争其正统性吧。但现状是,像本次研讨会这样持有反对意见的学者们坦诚布共地一起讨论的机会实在太少,更多的情况恐怕是大家自说自话便完。这次研讨会,有意渲染了全面对抗,这在日本也是极为特殊的。就这一点而言,可以说本次研讨会是有意义,并且是充满野心的。
---------------------------------------(完)---------------------------------

[ 本帖最后由 王京 于 2010-8-5 10:36 编辑 ]
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王京兄,非常感谢!

王京兄,你翻译翻得很快! 非常感谢你! 给你添麻烦,很抱歉。

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看出我一身冷汗,菅丰走得比我想到的更远,更彻底。
菅丰对日本民俗学的剖析,比我对中国民俗学的检讨,更冷静、更无情。

我觉得上述文字除了提出问题之外,至少已经迫使我思考另一个问题:
民俗学,需不需要自己的所谓独特的理论?
也许真的不需要。

说实话,这两年跟着吕微读点书,
我一直隐隐有种感觉:
真正的“理论”,也许只能在哲学领域或者经济领域产生吧。

如果我们放弃民俗学的理论追求,
也许能更轻松地进入我们的研究。

中国有一句老话:
有心栽花花不发,
无心插柳柳成荫。

这还真是个问题。

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