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东瀛论剑:日本民俗学的巅峰对决

今回のシンポジウムの目的と「理論」「思想」について

引用:
原帖由 王京 于 2010-8-2 09:36 发表


顶一个!期待中。
王京さま!お久しぶりです。いつか時間ある時にでも翻訳していただければありがたいです 甘えてゴメンナサイ
中国民俗学はこのような活発な議論の場があって羨ましいです。

さて、今回のシンポジウムの目的は、福田アジオを批判し、それに打ち勝つことを目的としたものではありません。福田アジオに代表される20世紀民俗学を継承するのか?それともそれから離れられるのか?を、観衆に自覚させることを目的にしています。当日、用意したPPTには下記のように目的を記しました。

「今回の企画は、「『20世紀民俗学』を無意識、惰性で継承する」という方向性を否定し、「『20世紀民俗学』を意識的に継承する」という方向性と、「『20世紀民俗学』を捨てて新しい民俗学を構築する」という方向性の異同を確かめ、両者の相克や軋轢を顕在化させることにより、今後の民俗学の議論のステージを転換することを目的としている。」

「20世紀民俗学」とは、20世紀に柳田国男たちによって始められた日本の土着文化の理解とその復興運動、そして、その学問化を進めた運動を指します。それは、ある時代の要請によって生成した「時代の産物」であり、当初は「野の学問」として出発し、100年近い時間の経過とともに体系化され、組織化され、そして制度化されました。その最終段階で、福田先生が大きな影響力をもちました。

現状の日本の民俗学の危機は、福田先生も私と同じく自覚しているものです。彼の現状認識は以下の通り。これも当日のPPTに載せ、福田先生から同意を得ました。

「福田氏は、20世紀民俗学を捨てないけれども、現状の20世紀民俗学に必ずしも明るい未来を見ているのではない。むしろ、いずれ必ず来たる「民俗学の敗北」を一途に抱きしめ、20世紀民俗学と一緒に殉じる覚悟を決めている。この覚悟が、実はその後継であるはずの我々には共有されていない。そこが大問題。福田氏は、多分、これまでの民俗学の目的や方法、対象を捨てることに大反対する。その目的や方法や対象が、現代にそぐわない、有効ではないものになっていたとしても、それこそが「民俗学」なのだと主張するであろう。
歴史学は永遠に続く(レトリック上)が、民俗学はある時代の要請によって生成した「時代の産物」なのである。だから時代が変って必要性が無くなれば、民俗学は滅んで当然なのである。だから延命措置にも似た、全面的に学問を根幹から再構築する必要ない。民俗学は、潔く消えて無くなるべきである…。」

このような考えを起点として、議論が開始されました。
簡単にいうと、第一世代を乗り越えた第二世代の民俗学は、歴史志向が強烈である。とくに福田先生の場合、民俗学=歴史学という構図をけっして捨てない。世界の民俗学が、多様な定義と方法、対象を扱っているのに対し、日本民俗学は、そのような歴史主義が足枷となって新しい転回を迎えられないということです。これは福田先生も認めるところですが、福田先生にしてみれば、それならば、時代に必要とされていないのだから、あるいは時代に適応できないのだから日本民俗学は「滅んで当然」ということになるわけです。そして、歴史を捨てた新しい民俗学へと転回したいならば(革命を起こしたいのならば!という意味)、民俗学ではなく別の学問を作りなさいとなるわけです。しかし、アメリカ民俗学もドイツ民俗学も、定義や研究方法を格段に変えて、多様な民俗学像を創造してきたのに、日本民俗学だけが非常に狭い歴史主義に縛られ続けるのはおかしいというのが私の反論です。

施愛東先生から下記のような意見をいただきました。

「如果这样,菅丰的革命就一定是失败的。
所以,菅丰要想取得胜利,他必须有更彻底的思想准备,
他必须更彻底地反抗福田的知识体系。」

これは誤解があるようです。第一に、今回の試みは、まだ「革命」ではないこと。先に述べたように、20世紀民俗学を無自覚に継承する人びとに警鐘を鳴らすというものです。その点では、福田先生も同意見。福田先生が最後に作り上げた20世紀民俗学に、福田先生自身が明るい将来を見ていないのですが、多くの日本民俗学者、そして、来場していた観衆はその危機感がないのです。その点を問題化するというのが、福田先生との共通理解です。

それと、20世紀民俗学が成立して以後、その日本の民俗学自体に、すでに簡単に「思想」と呼べるものは存在しません。実は、福田さんも歴史主義以上の「思想」と呼べるものはありません。そして、そのような歴史主義を私たち日本の学者は、すでに「思想」とは呼びません。それは、下記の叶涛先生の「理論」に関する疑問にもあてはまります。

「于2.5代或第三代的菅丰教授,只听过他的田野性质的学术报告,看过《民间文化论坛》(?)发表的译文,对于他的理论框架知之甚少。不知他是从哪些角度攻击福田先生的。
哪位精通日文的学界同仁,费费心思,做一点为他人做嫁衣的事情,翻译几篇菅丰教授代表性的理论著述,我们应该早一点了解日本以菅丰为代表的这一代民俗学人。」

大方の中国の民俗学研究者が誤解しているのですが、日本の民俗学には「理論」と呼べるほどの「理論」はもともと存在しません。いまの日本民俗学者で、いまの民俗学独自の理論を挙げられる人がいたら、それはむしろ「理論」ということに不勉強な人か、日本民俗学史を知らない人でしょう。福田先生の歴史主義の考え方を、「理論」と表現できないこともないですが、それは中国民俗学者がよく見れば、それほど理論と感じないものでしょう。それは、「思想」と同じく、現在、一般的には「理論」とは日本ではいわれません。

中国民俗学者とつきあっていて、よくいわれるのが「日本民俗学は調査データが多くて理論が少ない」という不満です。これは、両国のそれぞれの民俗学がおかれた歴史、現在の状況に大きな違いがあるものだと思います。多分、日本民俗学の多くの学者が、中国の理論的発表を見るとかなり違和感を感じるでしょう。それも、両国の学問化の歴史過程に大きな違いがあるからです。

実は日本では1960~70年代あたりに、民俗学の学院化を推進するなか「民俗学が独立科学ならば理論をもたねばならない!」という議論がありました。しかし、柳田国男の調査資料論(重出立証法や周圏論)以外に、理論らしい理論を導き出せなかったのです。そして、それらは今見るととても理論といえる代物ではないのです。その資料論に反論して、福田先生は「地域民俗論」や「伝承母体論」を出すのですが、それも現在ではさすがに理論とはいえないものです。村落社会が崩壊し、社会流動的になった現在では、その有効性も失われていて、そのような「論」を前面に出して、民俗学を進める無邪気な民俗学者はいなくなりました。それは1970年代には意味ある議論だったのでしょうが、その後数十年で陳腐化したわけです。1990年代にもなると、そういうレベルでの「理論」研究は、私に限らずなくなってしまい、現状、「理論」ということを真剣に扱う研究者はいなくなりました。そして、理論というと過去の学説史を読み直す「学史研究」になってしまっているのが、日本民俗学の現状です。

日本民俗学の第二世代が活躍した1970年代は、ある意味幸せな時代でした。本質主義的に民俗をとらえることができたし、さらに村落というものの自己完結性を信じることができる時代でした。「理論」というものを簡単に議論できる時代でした。しかし、その後のポストモダン期に、それらの幻想は打ち砕かれて、まともな研究者ならばそのような議論を、現在持ち出すことはありません。今回は、福田先生を主題にしたので「地域民俗論」や「伝承母体論」を持ち出せましたが、そのような場以外に持ち出すのはとても躊躇されます。要するに、福田先生が「理論」化したと中国で思われている研究内容は、もうすでに日本民俗学では「理論」として研究する現在的な意義を失っているということです。だから、逆に言うと自らの理論的な開発ができない分、理論のようにみえる従来の歴史主義に、いまだ無自覚に惰性で頼る人が日本に多いのだと思います。

私も1990年代に一般に環境民俗学と呼ばれる新しい分野を開拓しましたが、それは新しい「理論」ではなく新しい「観点」に過ぎません。そこでは歴史主義と同じ歴史的手法を用います。しかし、その際、私の理論のバックボーンとなっているのは、commons理論など、むしろ政治学や社会学、経済学などで学際的に共有される理論です。昨年、アメリカの政治学者・エリノア・オストロム (Elinor Ostrom)が、このcommons理論でノーベル経済学賞を取ったのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

この理論には、日本民俗学では、私以外に誰もとりくんでいませんが、全社会的に見れば大きな理論です。あと私は、構築主義的理論の影響を強く受けていますが、それも民俗学独自の理論ではありません。1990年代以降、学問のボーダレス化が進行するなか、高度な研究を求める先鋭的な研究者は、他学問の領域に進出し、そこから吸収して自己の研究に応用する人びとがほとんどです。

民俗学独自の理論としては、1990年代からfolklorism(民俗主義)の考え方がドイツから日本民俗学に導入されました。しかし、それも構築主義的な方法の一つです。これは、理論としては、20世紀民俗学の本質主義を乗り越えるものとして重要なのですが、それは往々にして結論が決まったステレオタイプの研究になりがちである点が批判されます。私は、いま民俗主義を乗り越えるために、「公共民俗学」という民俗学の方向性を模索しています。それは中国民俗学でも既に紹介されているアメリカ由来の「公衆民俗学」とは若干異なる民俗学の方向性で、日本民俗学が本来持っていた「野之学問」の性格を発展させ、現代の公共性論のなかに位置づけようというものです。そこでは学者の実践論について論じています。その研究は今科研をとって研究遂行中ですので、数年後には成果がでてくると思われます。

以上のように、日本では1990年代以降、理論と呼べるほどの理論の議論はなされてきませんでした。それは、理論というものを無邪気に提示できないほど、日本の社会状況の変化や民俗のおかれた位置が変化したことに起因します。それは日本に限らず、アメリカ民俗学でも同様です。2004年10月アメリカ民俗学会(AFS)の研究大会での会長招待本会議講演で、世界的に著名な民俗学者・Alan Dundesは、“Folkloristics in the Twenty-First Century(21世紀の民俗学)”(Journal of American Folklore118(470) 2005)と題する講演をしました。そのなかで、Dundesは、世界レベルで進行する、憂慮すべき民俗学の衰退状況を述べ、さらにアメリカ民俗学の深刻な状況、それに陥った理由について激しく述べ立てました。その重要な要因の一つとして、アメリカ民俗学に「グランド・セオリー」が欠如していることを指摘しました。さらに、翌年2005年のアメリカ民俗学会の研究大会でのフォーラムで“Why is there no ‘Grand Theory’ in folkloristics?(なぜ民俗学には「グランドセオリー」がないのか?)”が開催されたほどです。つまり、日本に限らず、現代社会において、民俗学は独自の理論化が難しいということです。これが、日本やアメリカで、民俗学の学問としての独自性や、学問の存在意義に関わる問題になっています。

多分、「理論」の問題は、それぞれの国の民俗学でとらえ方が異なる問題です。それを突き詰めると、それぞれの国の民俗学のとらえ方に、根本的な乖離が存在していることに気がつかされるでしょう。それぞれの国の民俗学が置かれた歴史や社会背景や現状を理解しないでは、それぞれの「理論」化への積極的な意欲と、その反対の失望とを捉えることは困難です。かつて、アメリカ民俗学とドイツ民俗学の間に横たわる、異なる価値や方向性、学問の帰結法が、共通の尺度で理解できない状況を、アメリカ民俗学者・バーバラ・カーシェンブラット-ギンブレットは「共約不可能性(incommensurabilities)」と表現〔Kirshenblatt-Gimblett 2000:1-3〕しました。多分、日本と中国の民俗学の間には「理論」をめぐって、「共約不可能性」が存在するのだと思います。この問題は、今後の中日民俗学の間で議論すべき重要な論点になるでしょう。

いま、日本の民俗学は統一された理論や方法のない拡散期にあります。その状況は福田先生にいわせると「頽廃」となるのですが、私は福田先生とは正反対に、この状況を「頽廃」ではなく、新しい民俗学の胚胎期であり、それ生み出すために雌伏して機会をうかがう重要な時期だと考えています。多分、これからの日本民俗学は内部で、いくつもの民俗学が、その正統性を競いあうでしょう。しかし、現状、今回のシンポジウムのように、反対の意見をもつ人間が相対して議論する場は、ほとんど形成されないので、それぞれが主張して終わりということにもなりかねません。今回、敢えて対抗の構図をとったシンポジウムは日本でも特殊なものでした。その点では、今回のシンポジウムは有意義、かつ意欲的なものといえるでしょう。
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王京兄,你翻译翻得很快! 非常感谢你! 给你添麻烦,很抱歉。

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