王暁葵: 人类学化与非物质遗产保护 - 关于当代的中国民俗学研究
西瓶按:王晓葵老师的这篇文章,原载于《日本民俗学》第259号(2009年8月),是对当代中国民俗学发展所做的一个全面总结。以前爱东等位学兄在论坛中也曾提及。这次承蒙王老师惠赐原稿,读后受益匪浅。今将文章揭载于“他山之石”版,以供各位精通日文的同道欣赏、评论。
「人類学化」と「非物質文化遺産保護」―現代中国民俗学研究について
王暁葵
はじめに
編集部から依頼されたのは、この十年間における中国民俗学の研究状況であるが、中国民俗学研究のあらゆる側面を取り上げ、その方向性を分析・明示することは筆者にとって不可能な作業である。ここでは、この十数年間最も重要な出来事の二つと思われる民俗学の「人類学化」と「非物質文化遺産保護」という出来事を巡って、中国民俗学の変化を中心に、中国民俗学の研究体制、研究者の状況などを含めて紹介したいと思う。
1.民俗学の「人類学化」
中国において、民俗研究は1920年代頃から始まったが、大学アカデミズムの世界で「民俗学」という名称で学科として定着したのは、十年ごろ前の1997年である。それまでに、民俗学は「民間文学」という名目で「中国文学」の下で置かれ、その研究者の大部分は中国言語文学部に所属していた。1997年6月、中国教育部は大学の学科設置の調整を行い、本来中国文学の下にある「二級学科」の「民間文学」を「三級学科」へ降格し、二級学科の「中国現代文学」、「中国古代文学」の下に属することとした。そのため「民間文学」は大学での独立した地位を失い、単独で大学院生を募集することが出来なくなった 。その代わりに、教育部は新しい学科として「民俗学」を増設し、法学部門の社会学の下の「二級学科」とした。これで大学において、「民間文学」の地位が下がるが、「民俗学」の名目で研究助成金を申請、学生(主に大学院生)を募集することなどが可能となり、その学問の社会的認知度の向上にも繋がった。研究者や研究機関および学校現場における研究の外在的な条件は、政府の教育行政に大きく左右されている中国において、1997年の政策調整は、「民俗学」の発展にとって大きな転機となった。
しかし、問題は残る。学科設置の調整に相応する研究者の人事異動は簡単なことではないし、事実上ほとんど行われていない。そのため民俗学の研究者は中国言語文学部にいるのに所属学科は社会学となるため、一種の「ねじれ」状況となった。民俗学は中国言語文学部において研究資源の分配などにおいて比較的に差別を受けやすい立場となった。一方社会学には、自分の領域に「民間文学」という研究を行うことにも抵抗がある。一方、中国が独自の社会科学院系統の研究体制は、教育部の調整と別に、本来の形で存続している。中国社会科学院の「民間文学研究室」はそのままで、文学研究所の下で存続している。社会科学院の社会学研究所において、民俗学の研究者は殆どいない。
こうした研究体制の調整の背景は、従来の中国民俗学研究のあり方と関わる。つまり、1949年後、民俗学は政府から「資産階級の学問」とされ、人類学、社会学などと共に大学の制度から排除された。唯一の例外として許されたのは、「民間文学」の研究である。これは「民間文学」は「労働人民」の創作として、彼らの「心声」を反映するもので、その内容は「革命的」、「人民的」などの特徴を持ち、共産党のイデオロギーと親和性を持つからである。したがって、中国民俗学において、もっとも蓄積があるところは「民間伝説」、「昔話」、「民謡」などの「口伝文学」の部分であり、研究者の殆どは文学研究者である。このような状況は1990年代まで続いた。しかし、改革開放路線による中国社会の変化は「民間文学」への認識の変化をもたらした。従来のイデオロギー性が強く、政治権力によって注目された「民間文学」は次第に威光が失いつつあり、研究上にも問題意識、方法論、資料操作などにおいて、さまざまな問題点が露呈し、研究後継者不足の問題などを加え、民俗学界の内部には危機感が感じられた。そのため、一部の学者から新しい方向性を模索する動きが出た。
1996年に、北京大学人類学と民俗研究センターのガオビンジョン,高丙中は『中国民俗学の人類学傾向』を発表し、これまでの中国民俗学は、1930年代において歴史学者のグウジェガン,顧頡剛による民間伝説の「孟姜女故事」の研究と、文学研究者のウェンイドゥオ,聞一多による神話と古代祭日習俗の研究をモデルとし、「文献中心」と、民俗を歴史文化の「残留物」と見る「歴史主義的」傾向を批判し、「人類学的」民俗学への転向が必要だと主張した。高丙中は1980年代から90年代中期までの民俗学研究について、次のように纏めた。「フィールドワーク及び文献調査で珍しい風俗を探し、それを原始文化の残留物として分析し、その原型と意義を見出そうとし、またその伝承のルートや変遷の歴史を推測すること」である。高はその研究の問題点について、「そもそも歴史文献において民俗に関する記載は極めて乏しく、これだけを頼って歴史の「原型」を再現することは不可能である」という方法論上の欠陥があると指摘、また、上述の傾向は、生活文化の中から「民俗」を引き出し、一つの「事象」として抽象化し記録した後、文字化されたものを対象にして分析する。結局、そのような民俗学研究は、民俗とその関連する政治、経済、地理、地域社会の構造などとの関係性を無視され、生活文化の文脈から断片的な文化要素が切り離され、孤立に年中行事、伝説、神話などを分析する作業となった。そのため、民俗学研究は「中国人の生活の理解に全く役に立たずに、民俗学から得たものは単なる中国人生活の一部の文化史の知識であり、しかも断片的、好奇心に満たすための知識である」となった。それを是正するために、高は中国民俗学が「歴史主義から現実主義へ」という方向転換が必要だと主張した。つまり、民俗学の関心は古代ではなく、現代であり、珍しい風俗ではなく、「日常生活」である、ということである。具体的に、高が1.歴史「残留物」から「生活文化」を研究対象とすること。そのため、2.文献中心からフィールドワークを中心とする研究方法への転換、二点を提示した。
高丙中の指摘は、1996年までの民俗学関係の博士論文の内容から見ることができる。つまり、1996年まで民俗学分野においては、全部で8本の博士論文が出された。(表一)その中、ドンシャオピン,董暁萍の『明清民俗文芸学史』は学史の研究で、高丙中の「民俗文化和民俗生活:民俗学的研究対象と学術取向」は民俗学の対象、目的、方法論を述べる内容である。グオユ,郭于ファ,華の『民間伝統喪葬儀礼の文化的功能及び意義』、ジャン,張ミンユアン,明遠の『祭日儀礼と農事信仰』、セイン,色音の『シャーマニズム考略』、トウセイエン,陶思炎の「中国魚文化の機能及び変遷」は、それぞれ葬式の文化的意義、祭日の儀礼、シャーマニズムの起源と伝承、魚の図像、伝説と信仰などについての研究である。いずれ文献を中心とする「文化史的」な研究である。ヤン,楊リ,利フイ,慧の『女娲神話及び信仰』とヘ,何ビン,彬の『江浙漢族葬俗の研究』のようなフィールドワークで得た資料に基づくものは比較的に数少なかった。
表一 1989年~1996年 中国民俗学の博士論文(北京師範大学)
作者 論文題目 学位授与時間
董暁萍 明清民俗文芸学史 1989年7月
陶思炎 中国魚文化の機能及び変遷 1990年2月
郭于華 民間伝統喪葬儀礼の文化的機能及び意義 1990年7月
张明远(モンゴル族)祭日儀礼と農事信仰 1990年7月
高丙中 民俗文化と民俗生活:民俗学の研究対象及び研究法 1991年7月
色音 (モンゴル族) シャーマニズム考略 1992年7月
何彬 江浙漢族葬俗研究 1993年7月
楊利慧 女娲神話及び信仰 1994年7月
民俗学研究の視野の拡大及び方向転換の必要性についての高丙中の見解は、彼が所属している北京大学人類学と民俗学研究センターの設立とは無関係ではない。1994年に設立された北京大学人類学と民俗研究センターが、中国人類学の鼻祖とも言えるフィショウトン,费孝通教授の意向によるものである。事実上センターの運営と研究活動において中心的な役割を果たしたシュウ,周シン,星副センター長は、この「人類学」と「民俗研究」と「合流」する研究機関の誕生は、異文化を研究する人類学が中国で展開される際、中国本土を研究する「故郷人類学」という方向へ転換する傾向があり、これは自然的に「郷土研究」を使命とする民俗学を遭遇することになる。という背景があると説明した。
中国民俗学会会長ジョン,鐘ジン,敬ウェン,文は、明確的に民俗学を「人類学化」すべきという発言は無かったが、民俗学研究の範囲を広がる必要があるというところは高の見解と共通している。鐘敬文が1998年に書かれた『民俗学概論・序』において、「いま、各国において民俗学の範囲と内容についての認識は、社会生活の各方面を含んでいるものとなっている」という認識を示し、従来の口伝文芸を中心とする「民間文学」の民俗学を「全方位」的に生活文化への転換を呼びかける。
1998年12月に「中国民俗学会第4回全国代表大会及び中国民俗学運動80周年記念大会」 において、鐘敬文は「中国民俗学派の構築に向って」という基調講演を行った。この講演の中で、鐘敬文は中国民俗学の研究について、中国の民俗文化の特徴に相応しい理論と方法論を建設するようと呼びかけた。つまり、「今までの中国民俗学は清末から西洋から輸入した学問の枠組みの元で成立したが、80年間過ぎた現在、中国の独自の道を歩むべきだ」ということである。
具体的に、鐘敬文は、「民俗学の中国学派の建設について、中国民俗学の役割、目的を明確しなければならない。そのために、独自の民俗学の理論体系、理論民俗学、記録民俗学、歴史民俗学、方法論、資料操作法などを構築しなければならないと論じた。さらに、漢民族の民俗だけではなく、その他の少数民族の民俗をも進んで研究しなければならなく、中国民俗学は、「多民族の一国民俗学」であるようと主張した。
高丙中の論文、鐘敬文の呼びかけは、中国民俗学のあり方についての論議を引き起こした。その後の2002年中国民俗第5回全国代表大会において、民俗学の理論、方法論についての論文が数多く出された。その中、北京師範大学のリュウ,劉テ,鉄リャン,梁の「民俗学方法論について」は次のような論点を提示した。「民俗学のもっと重要な任務は当代現実生活の中で民衆が伝承、再創造し生きている民俗を考察し、記録、比較、解釈することである。これは民俗誌の方法である。したがって、フィールワークは民俗学の方法として極めて重要である」。これに関連して、「民俗生活の全体性、つまり、民俗事象の間の関連性も注意すべきだ」と論じた。中山大学のシュショウ,徐霄イン,鷹は「フィールドワークのあり方について」という研究発表で、自分の客家山歌の調査経験に基づき、フィールドワークには、「民俗事象を孤立的にみるではなく、民俗を伝承する主体としての人間及び民俗に関わる社会環境にも目線を注ぐ必要がある」と力説した。
このように、従来の「文化史」的な民俗学研究はフィールドワークを中心とする民俗誌的方法へ転換することは、次第に中国民俗学界のコンセンサスを得ている。これはその後提出された民俗学博士論文からうかがえる。
1990年中期から現在に至るほぼ十年間、北京師範大学の他、広州の中山大学、北京の中央民族大学が民俗学の博士課程が認可された。また山東大学、華中師範大学、華東師範大学などは民間文学の博士コースの設立が認められた。
この十年間の博士論文のテーマと内容からみれば、従来の「文化史的」な研究もあるが、フィールドワークを中心に、民俗事象をその地理的、歴史的、社会的関連性を重視するものが多くなったことがわかる。
1998年北京師範大学で提出されたリュウ,劉ショウ,暁チュン,春の博士論文『儀式と象徴の秩序-ある客家村落の歴史、権力と記憶―』は、江西省富東村でのケーススタディとして、客家村落の社会文化の伝承と変遷、及びそれを引き起こしたさまざまな社会的要素を明らかにすることを目的とし、村落の「家」の歴史変遷及び村の権力構造、信仰体系の伝承を考察した。作者の言葉で言えば、「フィールドから歴史を見る」という民俗学の学術傾向が鮮明に打ち出された。
2004年に提出されたジ,吉ゴオ,国シュウ,秀の博士論文『婚姻儀礼の変遷と社会ネットワークの再構築』(北京師範大学、以下は「北師大」と略す)は民間儀礼の角度から、民俗と社会変遷との関係を考察したもので、東北地域の遼寧省清原鎮における婚姻儀礼の形式及びその機能の変遷、婚姻儀礼と社会ネットワーク構築とのかかわりを分析した。特に1949年以後の国家権力の介入によって、この地域の婚姻儀礼の変容及びそれが地域社会の新たな社会ネットワークの構築においてもたらす役割を明らかにした。
2006年に出されたゼンナ,詹娜の博士学位論文『農耕技術民俗の伝承と変遷―遼寧東部河溝村をケーススタディとして』(北師大)には、農耕技術民俗の伝承を取り扱う。伝承の特質及び伝承者の運命は民族-国家の歴史との関わりを深く掘り出す論文である。
女性の民俗についての研究は、中山大学の徐霄鷹の『歌唱と敬神―村鎮視野の客家女性の生活』である。これは、作者は2002年中山大学で提出した博士論文で、広東省梅州市芜県杜里鎮の民間信仰グループ「敬神」の「信仰組織」と、民謡グループ「山歌組織」という二つ客家女性グループを調査対象にして、この二つのグループの人間関係、行動様式及びその裏にある価値観を分析した。作者が特に調査対象との関係について、単純な調査者―語り手という関係ではなく、両者が調査中で形成しつつある「相互関係」を調査者と研究対象がお互いに「内面化」することとみなし、それは調査対象を理解するに不可欠だと考えている。
いままでタブー視された民間信仰についての研究は盛んになっていた。2004年7月に提出されたイェトウ,葉涛の博士論文『泰山香社研究』(北師大)は、碑刻文献およびフィールドワークを基づき、「泰山香社」という民間信仰組織の形成、変遷、現状を考察するものである。泰山香社のような農民のほか、町住民、宮廷の宦官も参加する信仰組織は従来社会学研究の盲点と思われた。葉の研究はこうした社会学研究の空白を埋めたと共に、民俗学が独自の存在価値があると証明した。そのほか、ジャン,蒋ミンチ,明智の『悦城龍母伝説と信仰』(2002年中山大学、以下は「中山」と略す)、シュウユロン,周玉蓉の『民間信仰と地域社会との関わり—汕尾疍民信仰研究』(2004年中山)、バオ,鮑ジン,金フン,鳳の『神霊の構築—巴林右旗公主信仰をケーススタディとして―』(2006年北師大)、シュ,朱アイドン,愛東の『国家、地方と民間との関わり——冼夫人信仰研究』(2006年中山)、 リュウ,劉ムビン,目斌の『 地域崇拜と変動のアイデンティティ—青海民和三川「納頓」儀式のフィールドワーク―』(2008年北師大)などはそれぞれの地域でのフィールワークを基づき、民間信仰は国家権力、地域社会、歴史伝承などとの関わりについて論ずるものである。
また、リフアウェイ,李華偉の『農村部宗族とキリストとの関わり―李村を例として―』(2006年北師大)、マグアンチン,馬光亭の『時間の争い—江蘇省北部依村におけるキリスト教信者への民俗学的考察―』(2007年北師大)、チョオ,曹ロン,栄の『農村部カトリック信者の信仰と生活——北京桑峪村カトリック信者への考察―』( 2008年北師大)などの論文は、近代以降西洋から伝来してきた宗教は中国の農村社会に定着してきた際、従来の社会構造、民間伝承との衝突、融合、変容などの過程を分析したものである。
社会学の生活史研究の成果は民俗学においても共有するようとする試みもあった。これはリン,林ジ,継フ,富の『民間叙事伝統と故事伝承—湖北長陽都鎮湾土家族故事伝承人を例として』(2005年北師大)である。この博論において、彼は湖北省長陽県都湾鎮の民間伝説を三人の語り手を取り上げ、彼らの語り方とそれぞれのライフヒストリーとの関係について比較した結果、彼らの語り方を「伝統発揮型」と「伝統守り型」と分類し、その二分類にさらにそれぞれ「積極的伝承者」と「消極的伝承者」と分ける。その全部で4種類の語り方の特徴、起因と分析し、伝説の変容、変質と語り手の生活経験との関わりを明らかにした。博士論文ではないが、イウェヨンイ,岳永逸の『空間、自己と社会』も生活史の手法を取り入れ、北京の天橋地区の大道芸人の入門、見習い、独立までのライフヒストリーと通して、彼らの伝承の特質と社会とのかかわりを分析したものである。
少数民族の民俗研究もこの十年間盛んでいた。その代表する学者は中国社会科学院民族文学研究所のチャオケ,朝戈ジン,金(モンゴル族)、著作:『 口伝史詩詩学:冉皮勒『江格爾』文法研究』(2000年北師大)、バモジウブモ,巴莫曲布嫫(イー族)、著作: 『史詩伝統のフィールドワーク―諾蘇イー族史詩「勒俄」を例として―』( 2003年北師大)、北京師範大学の色音(モンゴル族)、北京大学の陳崗龍(モンゴル族)、著作:「東モンゴル英雄史詩研究」(1997年北師大) 中央民族大学のシンリ,刑莉(モンゴル族)などである。そのほか、広西師範大学のヤンシュジェ,楊樹喆(チワン族)、著作:『師公信仰儀式―チワン族民間師公教研究―』(2000年、北師大)、レイラ・ダウティ(熱依拉•達吾提)(ウイグル族)の『文化伝承と融合-ウイグル麻扎爾文化研究-』 (1998年北師大)、グアンシイン,関渓瑩(満州族)の『エスニック集団の民俗文化の発展と変遷—広州世局満州族を例として―』(2004年中山)、ルオシュ,羅樹リアン,傑(チワン族)の『伝統祭日の生命力―広西虎村白イー族を例として―』( 2007年北師大)、ジェン,鄭チャンテン,長天の『ヤオ族「坐歌堂」の構造と機能―湘南盤瑶「岡介」活動について―』(2007年北師大)、ル,陸ショウ,暁チン,芹(チワン族)の『郷土の歌唱伝統:広西西部德靖におけるチワン族社会の「吟詩」と「暖」』(2006年北師大) 、チェン,陳リ,麗チン,琴の 『チワン族服飾文化研究』(2006中山)などがある。最近の研究として、2008年に提出された チャン,張シュウクアン,曙光の博士論文『モンゴル族ナダムの現代伝承について―烏珠穆沁地域のナダムを中心に―』(中央民族大学)は内モンゴル烏珠穆沁地区でのフィールドワーク通して、ざまざまの類型のナダムに対して調査し、ナダム文化の伝承状況を把握した上で、ナダムの形成、変遷を分析した。少数民族出身の研究者による自分の民族を研究する著作が多いことは特徴である。
このように、上述の高氏が指摘した1990年代中期までの孤立的に、民俗事象を生活文化の中から引き出し、この構成、変遷などを分析する研究に対して、90年代後期の若手の中国民俗学者は、民俗事象の社会生活との関連性をリンクしながら、フィールワークを通して、民俗事象の意義を分析することになった。少数民族の研究も含め、全体的な傾向としては、中山大学の劉暁春教授が言うように、「文化史・文芸研究の視野を乗り越え、民族志的な研究、いわゆる人類学的な研究となった」 。
一方、数少なくなったが、民間文学研究についての博士論文もある。それは、康麗の『中国巧女故事叙事形態研究―故事の民間女性観念をふれて―』(2003年北師大) 、漆凌雲の『中国白鳥乙女型故事研究』(2005年北師大)、扈玲娟の『中国「難題」主題の民間故事について』 (2007年北師大)などが挙げられる。文献の中の民俗に関する記載を基本資料として、歴史上の民俗を研究分析する「歴史民俗学」という研究もある。その代表は蕭放の『「荊楚歳時記」研究-伝統中国民衆生活の時間観念について―』(1999年北師大)、凌遠清の『清明文化の歴史伝承と意義』(2007年中山)、武宇嫦 の『禮と俗の演繹―民俗学視野の「禮記」研究―」(2007年北師大)、 宋穎の『端午節研究―伝統国家と文化表象―』 (2007年中央民族大学)などである。
外国人研究者による中国民俗の研究調査が増えている。近年中国の大学で民俗学博士号を取得した留学生が以下である。鄭然鶴(韓国) 『中国犁と韓国犁の比較研究-中国華北、東北地区を中心に―』 (1998年北師大)、高木立子(日本) 『河南省異類婚故事類型群について』 2000年北師大)、西村真志葉 『日常叙事の体裁研究―京西燕家台村の「拉家」をケーススタディとして―』 (2007年北師大)、林宣佑(韓国) 『中国春節習俗の伝承と人文精神-山西丁村を例として―』 (2008年中央民族大学)。 その中、西村真志葉の論文は現象学や脱構築主義の理論を駆使して、北京郊外のある村の日常会話「拉家」の分析を通じ、現代民俗学の基本概念体系に対して、再検討したものである。中国民俗学の研究に新しい風が吹かせたという高い評価を得ていた。
2.「非物質文化遺産」と中国民俗学
この十年間において、中国民俗学に取り巻く最も重要な出来事は、「非物質文化遺産」という概念の普及と言える。2008年11月、中国民俗学会が天津で年度大会が開催し、この基調講演のテーマから中国民俗学の研究の現状を伺える。つまり、三つの基調講演はすべて「非物質文化遺産」に関する内容である。 ウ,烏ビンアン,丙安の「非物質文化遺産概念の認定及び分類についての基本問題」、ケ,柯ヤン,楊の「非物質文化遺産保護においての三つの困難とその対策」、菅豊(日本)の「非物質文化遺産の価値とは何か」ということである。
分科会の発表で、チン,陳レンサン,連山の「五四から脱皮-全面的に非物質文化遺産を肯定する」、テン,田チョウイェン,兆元の「非物質文化遺産保護及び民俗学学科の発展」、ショウ,蕭 ファン,放の「非物質文化遺産の保護開発及び地方文化の再建」、チン,陳ファ,華ウェン,文の「浙江省非物質文化遺産保護の問題点について」などで、烏丙安、 柯楊などのような鐘敬文につき第2世代のみならず、第3世代の蕭放、陳連山、田兆元、陳華文などの中青年の研究者の発表も「非物質文化遺産」についての内容である。
中国において「非物質文化遺産」は、日本の「無形文化財」と「無形民俗文化財」両者の和とほぼ同じ意味で使われている。本来中国では、「文物」という概念があり、万里の長城、故宮博物館などのような「有形文化財」を、貴重の度合いで「国家重点保護文物」、「省重点保護文物」、「市重点保護文物」などに指定する制度があるが、口頭伝承、身体技法、工芸技術などの「無形的なもの」は保存、保護の制度がない。
中国における無形文化財への関心は、1998年ユネスコによる「人類の口伝及び無形遺産の傑作の宣言」(中国語訳「人類口頭和非物質遺産代表作条例」)の発足がきっかけで一気に高まった。 ユネスコは2001年5月に「人類の口伝及び無形遺産の傑作」を発表し、中国の「昆曲」が認定された。2003年1月に中国政府は「中国民族民間文化遺産保護プロジェクト」を正式に全国範囲で発足させ、それに伴い、諮問機能が備える専門委員会が設立された。中国民俗学会名誉理事長烏丙安、理事長リュウ,劉クイ,魁リ,立、副理事長高丙中、劉鉄梁、常務理事の巴莫曲布嫫、刑莉、チチンフ,祁慶富などが選ばれた。その委員会の27名の専門家委員の中で民俗学者が三分の一を占めている。政府の主導で、民俗知識、調査方法の講習会などは各地で開かれ、講師を担当したのは殆ど各大学や研究所の民俗学者である。また多くの民俗学者は各省、市の専門委員会の委員として任命された。2004年9月に、烏丙安は「中国民俗文化の根幹及びその影響」という題で、中央政府の高級幹部に講義した。いままで政府の高級幹部のために政治、経済、歴史、文化など様々な内容の講習会が開かれたが、民俗学の内容で行うのは初めでである。2005年3月、国務院は「わが国の非物質文化遺産保護を推進することに関する意見」を通達し、非物質文化遺産保護についての具体策を打ち出した。例えば、『非物質文化遺産代表作申請・審査暫定方法』を制定すること、全国非物質文化遺産保護会議を開くことなどである。2006年5月末、「第一回目国非物質文化遺産代表作名録」が公表され、この認定の過程において、各地の調査、申請書類の作成、審査などが多くの民俗学者が動員されていた。こうした一連の動きは民俗文化に対しての世間の関心度は著しく向上させた。本来あまり注目されていない民俗学者は活躍の場を大きく広げ、民俗学を志す若者も増えた。
それによって、中国民俗学界では次第に非物質文化遺産への関心が高まっていた。2002中国民俗学第四回代表大会で非物質文化をテーマとしたのは、中国社会科学院民族文学研究所の朝戈金が一人だけで、テーマは「非物質 /無形 /口頭遺産問題」ということで、当時は、「非物質」、「無形」、「口頭遺産」などさまざまな訳し方があり、まだ定まっていない現状であったことを伺える。その後、2006年中国民俗学会第6回全国大会の発表内容は民俗学の理論と方法についての論文は殆ど無くなり、その代わりに、「非物質文化遺産」についての論文は10本以上増えで、前回の十倍となり、非物質文化遺産を論議する分科会まで設けた点が4年前と大きく異なる。
非物質文化遺産保護が民俗学研究への影響は、まず大学や研究機関で研究拠点の設置において現れた。そもそも中国の大学及び研究機関に中国最高水準の研究教育拠点を形成し、研究水準を向上させることを図るため、重点的な支援を行うことを通じて、国際競争力のある個性輝く大学づくりを推進することを目的とする「人文社会科学研究基地」の認定制度がある。それは、各大学の申請を受け、中国教育部に設置された専門家委員会での審査によって、研究拠点として認めるかどうかの審査・評価がなされる。 認定される研究機関にとっては、その分野においての国内最高水準に達していると認められ、研究資金が国、地方政府、大学から支給され、研究環境は大きく改善され、優秀な人材を確保しやすくなるなど、大きいなメリットがある。しかも、採択される「基地」の数が大学のイメージなどに大きな影響があるため、各大学は採択に向けて大きな力を割いている。2003年、広州にある中山大学が国の人文社会科学研究基地として認可するよう申請した際に、古典戯曲、民間文学、民俗学の研究者を統合し、「中国非物質文化遺産研究センター」を「基地」として申請し、国から認可された。
「基地」として認定された後、研究環境の面は大きく改善された。以前、民俗学の研究拠点として「中山大学民俗研究センター」が学校の正式的な研究機関として認められたが、研究費は殆どなし、研究室は一室しかなかった。「基地」に認定された後、国(教育部)から毎年30万元(研究費20万、事務費10万)、学校も同じ金額(30万元)が支給するほかに、広東省の研究基地も認定されたため、広東省からも年20万の研究費を得た。(2008年から中止)、そのほか、国の重点支援費も3年間450万元ある。そのほか、広東省から機関誌『文化遺産』の出版費用として60万元の援助があり、広東省非物質文化遺産の申請、宣伝の委託費などの収入が約100万元。単純の計算で、この数年間で一年の助成金は約200万元(日本円で3000万)超える金額となった。これで、『中国の影絵の歴史と現状』、『春節習俗の歴史変遷及び地域文化的特徴』、『中国非物質文化遺産地図編制の基礎的研究』などの従来に実施不可能のプロジェクトが実施することできた。とくに『中国の影絵の歴史と現状』を調査実施において、数十人の学者、大学院院生を動員して、全国範囲で影絵の分布調査ができた。また、設立6年間国際シンポジウムが七回開催することができた。
そのほか、中国芸術研究院、中央民族大学、中央美術学院なども「非物質文化遺産」を研究する機関が設立された。2004年2月に設立された中国芸術研究院芸術人類学研究センター及び2006年12月に設立された中国芸術人類学会は民間芸能及び工芸技術についての研究は進んでいる。
また、浙江師範大学省非物質文化遺産研究基地のような、省レベルの研究基地が地元の大学に設置されることもある。他の例として、広西省の「基地」は広西民族大学に、重慶市の「基地」は重慶文理学院にある。
非物質文化遺産保護は中国社会の「民俗」への見方を根本的に変えた。高丙中はこれについて次のように分析した。西洋からfolkloreを取り入れた際の1910年頃には、「民俗」は歴史文化の「残留物」ではなく、現実に存在する民間信仰、年中行事、人生儀礼、衣食住などの全般の生活文化である。しかし、近代化を推進するともに、社会全体に「先進」(近代)と「遅れ」(伝統)の対置概念で、生活文化にわたるすべてが再評価の対象となった。 それによって、本来の生活文化が次第に、時代に遅れた「残留物」に転化した。共産党政権以後、「民俗」が「残留物」に転化することは一層加速した。特に文化大革命中、伝統的な生活方式はすべて否定された。1980年代までに、「民俗」に対して、社会全体は「遅れ」、「迷信」などのマイナスなイメージを持っている。しかし、非物質文化遺産概念の提出は状況を一変させた。本来否定され、あるいは「残留物」となった民俗は、一変して政府保護、民間重視の「公共文化」となった 。国レベルにおいて、非物質文化遺産は、「民族文化」のシンポル的な存在となり、各地域レベルにおいて、郷土愛、観光の目玉として脚光を浴びる。これを研究する民俗学及び民俗学者の社会的な地位も向上し、この学問の発展に大いにプラスとなった。
研究の面において、非物質文化遺産保護は民俗学に大きな刺激を与えた。非物質文化遺産と民俗は概念上に別ものであるが、両者が重なっている部分が多いため、民俗学研究の成果を大いに応用されることは自明である。したがって、非物質文化遺産保護は従来の民俗学研究に対して、一つの点検作業のような役割を果たした。
烏丙安は非物質文化遺産保護行政に直接関與した民俗学者として、非物質文化遺産保護によって民俗学が露呈した問題点を以下のように指摘した。
1.民俗文化の現状は不明である。つまり、全国範囲の民俗調査は未だに行っていないため、全国の民俗事象の分布状況ははっきりしていない。近年編纂した地方誌の民俗部分、殆ど清王朝から民国時代のものから写したものである。
2.民俗の変遷状況は不明である。非物質文化遺産保護は絶滅の危険度によって保護の優先順位をつけることは必要だが、民俗学界はこの数十年民俗の変化についての調査は殆ど行っていないため、こうした要望に答えることができない。
3.民俗事象の具体的な形態に対しての充分な調査記録がない。
4.伝承のメカニズムの調査は不十分。伝承者とその生活空間についての具体的な資料がない。5.民俗事象の分類基準は混乱している。
烏丙安が提示した5点はいずれ非物質文化遺産保護を推進するため解決しなければならない問題であるが、民俗学にとっても重要な課題である。したがって、非物質文化遺産保護は中国民俗学にとって、問題提起と共に大きな推進力となった。その具体例として、民俗調査の方法論に関する著作の誕生が挙げられる。中国においては、民俗調査に関する方法を論ずる論文があるが、ハンドブックは無かった。非物質文化遺産保護のため、各地の調査活動が活発化した。この数年間、三冊の民俗調査ハンドブックが出版された。『中国民間文化遺産搶救工程普査手册』(馮驥才編 高等教育出版社、高等学校電子音像出版社 2003年2月)、『北京民俗文化普査與研究手册』(劉鉄梁編著 中央編訳出版社 2006年11月)、『中国非物質文化遺産普査手册』(中国芸術研究院中国非物質文化遺産保護中心編 文化芸術出版社 2007年1月)。また、『非物質文化遺産保護と田野工作方法』(王文章編 文化芸術出版社 2008年)のような調査方法についての論文集も出版された。
非物質文化遺産保護が民俗学の発展にとってチャンスであり、助力である、という考えに対して、民俗学界内部からは、民俗学研究と「非物質文化遺産保護」との関わりについて、危惧の声もある。アンテミン,安徳明は一部の非物質文化遺産保護に関わる民俗学者は、自らの学者の立場を無視して、「学術良識」を捨てて非物質文化遺産保護の名目で、政治的、経済的目的を追求する行政、企業の「共謀者」となることを批判した 。劉鉄梁は政府が主導する非物質文化遺産保護に関與する民俗学者が民俗学研究と非物質文化遺産保護との関係を自覚しなければならないと強調、とくに非物質文化遺産専門委員会の中で民俗学者の「独立的立場」が保つ、行政主導の非物質文化遺産の申請及び評価において、伝承主体である地域住民の「声」の代弁者として活動すべきだと主張した 。シアイトン,施愛東は一部の学者は「非物質文化遺産」を「民族精神のシンボル」と「神化」することに加担することによって、自分を「民族精神」の守り的存在として自任する。それは、「民俗学家」という「学者」の立場を濫用することだと痛烈に批判した 。
3.研究集会と研究体制
中国民俗学会(China Folklore Society、略称CFS)は1983年5月に設立された中国民俗学者の最大の学会組織である。初代会長は鐘敬文で、現在登録会員は約1600人、会長は劉魁立、事務局長は葉涛である。学会の下に農業民俗研究、 城鎮民俗保護研究、茶文化、博物館民俗、言語民俗学、建築民俗文化、民俗教育という7つの専門委員会が設けている。学会は毎年年度大会を開き、会員の研究発表の場を設けている。また、4年一度全国代表大会を開き、理事長をはじめ、理事会の選挙を行う。年度大会及び代表大会の主題は事前に理事会の討論で決まる。例えば、2006年3月に開催された「中国民俗学会第六回代表大会」の主題は「新世紀の中国民俗学:チャンスと挑戦」である。さらに、具体的には7つのテーマについて発表を行うべきであるという方針が公表された。1) 鐘敬文と中国民俗学の歴史、2) 非物质文化遺産の保護と伝承、3) 民俗学の専門教育及び公衆教育、 4)フィールドワークの理論と実践、 5) 当代社会と民俗復興、6)中国民俗学の理論方法の検討と再構築、7)中国の内発的民俗学伝統などである。会員が提出した論文の中から、4本ぐらいの論文を選び、基調報告を行う。
学会の出版物はニュースレターにあたる『中国民俗学会会刊』と学会誌『中国民俗学会年刊』がある。2003年10月には学会のHPが開設された。2008年12月に内容はさらに充実した「中国民俗学網」(China Folklore Network、CFN)は正式開通した。ネット利用者が益々増える今、研究発表と交流の場として、CFNの役割は大きくなりつつある。
この十年間に中国民俗学研究において、もうひとつの重要な出来事は、「民間文化青年フォーラム」(中国語標記「民間文化青年論壇」)の誕生である。「民間文化青年フォーラム」は、大陸、台湾及び世界各地の若手民俗学研究者が集り、学術論議する場である。その発案者はいずれ現在中国民俗学界に活躍している中堅研究者である。2002年7月15日—17日、中国民俗学会第5回代表大会は北京の首都師範大学で開かれ、参加者のルウェイ,呂微(中国社会科学院文学研究所民間文学研究室研究員、現職、以下同)、チェン,陳ジェン,建シェン,憲(華中師範大学中文系教授)、蕭放(北京師範大学中文系民間文化研究所教授、葉涛(中国社会科学院宗教研究所研究員)、劉暁春(中山大学中国非物質文化遺産研究センター教授)、チェンヨンチャオ,陳泳超(北京大学中文系民間文学教研室助教授)、施愛東(中国社会科学院文学研究所民間文学室副研究員)、ジョンゾン,鐘宗シェン,憲(台湾輔仁大学中文系教授)が共同で、「民間文化青年フォーラム」を設立し、年に一回シンポジウムを開くことが決まった。一回目は 2003年7月に「中国現代学術史における民間文化」というテーマのネット会議を開催した。中国大陸、台湾、及びアメリカ、ドイツ、日本などからの若手研究者が60名参加した。この会議は中国国内の人文科学の学科においてネット学術会議の第一号だといわれた。中国民俗学会の代表大会と比べ、「民間文化青年フォーラム」の規模は遥かに小さいが、特定のテーマを巡って深く論議することができるというメリットがあり、若手研究者の間では好評である。翌年の2004年には「民間伝承の多様性」という題で、内モンゴルで民間文学の性質、範囲、伝承などについて論議した。参加者は中国、アメリカなどの中青年民俗学者、大学院生90人余りだった。その後の2005年、三度目は山東省泰山で、「文献伝統の口頭的解読」という題で、 2006年には湖北省武漢市華中師範大学で「非物質文化遺産保護国際シンポジウム」、2007年には北京で「伝統との対話:民間文化の現在」、2008年には広西省南寧大明山で、「民俗と公共生活」というテーマで順次に開催され、規模は次第に拡大しつつある。第7回は2009年8月に広東省珠海にて、「民間信仰と非物質文化遺産」を開催する予定である。また、2006年の第4回の会議において、台湾の学者の寄付金によって、大学院生に向け、懸賞論文を募集する制度が出来た。入選作は『民俗研究』、『民間文化論壇』、『文化遺産』などで掲載される。
4.民俗学研究機関
中国において、民俗学教育のカリキュラムを持ち、博士課程がある大学は、北京師範大学、中山大学、中央民族大学である。また、山東大学、華東師範大学、華中師範大学では、中国現代文学の下で「民間文学」の博士課程がある。
北京師範大学
北京師範大学は中国でもっとも多くの民俗学研究者を擁し、大規模に研究を展開する研究機関である。また、民俗学教育の歴史がもっとも長く、中国の民俗学研究者の半数以上は北京師範大学出身である。いわば中国民俗学研究の大本営ともいえる存在である。鐘敬文、蕭放が編纂した『中国民俗史』(六巻)は2006年に中国国家社会科学基金優秀著作に選ばれた。民俗学に関連する著作として国の最高賞を得ることはこれで初めてである。民俗学研究を行う機構はもと中国民間文化研究所(所長 鐘敬文)があり、鐘敬文がなくなった以後、機構の再編が行われ、現在文学院の「民俗学と社会発展研究所」と「民俗学と文化人類学研究所」との二つがある。
「民俗学と社会発展研究所」は理論民俗学、民俗誌、数字民俗学重点実験室、性别と発展研究センター、人類遺産学センターと、5つの研究室が設けている。すでに完成及び現在行っている研究は「中国民俗文献史」、「清代民俗文献研究」、「現代民俗文化管理」、「北京寺廟碑刻と社会史」、「客家民俗誌」などがある。常任の研究者は4名で、所長の蕭放教授の専門分野は歴史民俗学で、特に歳時民俗研究に長じる。著作は『歳時——伝統中国民衆の時間生活』等がある。前所長の董暁萍教授は現代民俗学理論、民俗誌を専門とし、『華北民間文化』、『郷村戯曲表演與中国現代民衆』などの著作を出版された。 色音教授はモンゴル族の民俗及び民間文学の研究を行い、『東北アジアのシャーマニズム』、『モンゴル民俗学』、『神道教與日本文化』などの業績がある。ジョウシャ,朱霞助教授の研究分野は技術民俗学で、伝統民芸について『雲南民族民間工芸技術』を出版している。
「民俗学と文化人類学研究所」は民間文学、民俗誌、歴史人類学の3つの分野の研究を行い、5名のスタッフがいる。所長のワン,万ジェジョン,建中は民間文芸学、民俗史と地域文化研究を行い、著作は『解読禁忌—中国神話、伝説及民間故事中の禁忌主題』、『禁忌と中国文化』等がある。前所長劉鉄梁教授は民俗学理論、郷村民間自治組織と儀式、村落民俗誌、民話などの領域で業績を挙げている。『北京民俗文化普査與研究手册』、『中国民俗文化志北京門頭溝区巻』、『中国民俗文化誌北京宣武区巻』などの著作がある。楊利慧教授は、神話学と民間文学の調査研究に長じる。『女媧神話と信仰』を著した。カン,康リ,麗、イゥエヨンイ,岳永逸助教授はそれぞれ説話、村落祭りの研究を行っている。彭牧はアメリカ(University of Pennsylvania)で学位を得て民俗学博士である。 兼任教授のチョウシユ,趙世瑜は明清社会史と民間文化史に長じる。著作は『腐朽と神奇:清代城市生活長巻』、『眼光向下的革命——中国現代民俗学思想的早期発展 1918-1937 』等がある。
中国社会科学院
中国社会科学院の民俗学研究の特徴は民間文学と少数民族の民俗と文学にある。研究者の殆どは民族文学研究所、文学研究所民間文学研究室に所属している。
民族文学研究所元所長、研究印の劉魁立は中国民俗学会現会長、中国民間文化遺産保護プロジェクト専門家委員会副主任などを兼任している。主な研究分野は民話研究、少数民族文学、ヨーロッパ民俗学などで、主要著述は『劉魁立民俗学論集』、『中国少数民族文学』(共著3巻)などである。近年非物質文化遺産保護に関して、積極的に発言を行っている。所長の朝戈金(モンゴル族)研究員はモンゴル族史詩研究に長じる。『千年絶唱英雄歌』などの業績をあげられる。巴莫曲布嫫(イー族)研究員は 彝族史詩文学についての研究を行い、代表作は『鷹霊と詩魂─イー族古代経籍詩学研究―』である。イン,尹フ,虎ビン,彬(朝鮮族)研究員は、主な研究分野は口頭詩学で『古代経典と口頭伝統』を著した。劉宗迪副研究員は神話学を専門とし、『山海経』の研究について『失落の天書:山海経と古代華夏世界観』という著作を出した。
文学研究所民間文学室は1953年に設立され、民間文学の研究において多くの業績を得た。その代表作は、『中国少数民族文学』、『中華民間文学史』などを挙げられる。研究室主任の呂微研究員は神話学、民間文学、学術史の研究に長ずる。著作は『中華民間文学史』(共著)、『隠喩世界の来訪者──中国民間財神信仰』、『神話何為─神聖叙事の伝承と闡釈』等がある。安德明研究員は民間信仰、諺の研究を行い、代表作は 『天人之際の非常対話──甘粛天水地区の農事禳災研究』がある。フショウフイ,戸暁輝研究員は主に民間文学と文学理論の研究を行い、『中国人審美心理の発生学的研究』、『現代性と民間文学』を著した。施愛東副研究員は中国民俗学の学術史の研究に長じる。彼の博士論文『中国現代民俗学の創立及びその発展——中山大学民俗学会を中心に』はこの分野において重要な成果とみなされている。ゾウ,鄒ミンフア,明華副研究員は『中国民間文学史•伝説史』の研究を行っている。
葉涛はもと山東大学文史哲研究院民俗学研究所所長、『民俗研究』の編集長で、2008年から中国社会科学院世界宗教研究所研究員となり、中国民俗学会副理事長を兼任している。主に民俗学と民間文学理論、民間信仰の研究を行い、代表作は 『民俗学導論』、『中国民俗』、『泰山石敢当』などがある。
中山大学
中山大学の民俗学研究は20世紀20年代まで遡ることができる。1927年に中国最初の民俗学会がここで設立された。その間、民俗学専門誌の『民俗』週刊が創刊され、123号まで発行された。また、36種類の民俗学叢書も世に出した。中国民俗学の創始者の顧頡剛、ジェン,江ショウ,紹イウェン,原、ヤン,楊チェン,成ジ,志、鐘敬文等はここで教鞭を執った。中国民俗学の発祥地とも言える。1949年後、研究は一時中断されたが、2000年、鐘敬文の弟子のイェ,葉チュンシェン,春生教授は「中山大学民俗研究センター」を立ち上げ、中国民俗学学術史の研究、資料整理、再出版、華南地域の民俗調査など本格的に研究を再開した。2003年に、古典戯曲研究所と合併して、「中国非物質文化遺産研究センター」が設立した。民俗学の研究は次第に回復し、発展の軌道に乗っている。現在中山大学の民俗学研究者はそれぞれ中文系の「中国非物質文化遺産研究センター」と社会学人類学学院に所属している。「中国非物質文化遺産研究センター」には、センター長のカンボウチェン,康保成教授は中国戯劇史、戯曲民俗を専門とし、民俗、宗教の角度から古代戯劇形態の研究は特色がある。著作は『傩戯芸術源流』『中国古代戯劇形態と仏教』などがある。劉暁春教授は福建、広東、江西省の客家地域にフィールドワークを行い、客家の村社会の歴史と変遷及び客家山歌、学術史の側面から民俗学の理論を研究している。著書は『儀式與象征的秩序』がある。ジャンミンチ,蒋明智助教授は主に華南地域の民間信仰を研究し、『悦城龍母文化』を著した。機関誌『文化遺産』の編集長葉春生は華南地域の民俗についての研究に長じる、『嶺南俗文学簡史』、『広府民俗』、『嶺南民間文化』、『広東民俗大典』など多く著述を出した。 社会学與人類学学院に、デン,鄧チ,啓ヤオ,耀教授、シュウアイトン,朱愛東助教授及び国際交流学院の徐霄鷹助教授などの民俗学研究者もいる。鄧啓耀教授は民俗学、芸術人類学の研究を行い、著作は『中国神話の思維構造』『中国巫蛊の精神構造』などがある。朱愛東は華南地域の民間信仰の研究調査を行った。そのほか、 シュウダミン,周大鳴、マクオチン,麻国慶、リュウジョウルイ,劉昭瑞などの人類学系の教授は民俗学博士を指導している。
中央民族大学
中央民族大学民俗学博士課程の特色は中国少数民族の民俗研究である。中央民族大学民俗文化学博士課程(中国社会科学院民族文学研究所と共同申請)は2003年に認可を得て、すでに7人が博士課程を経て、学位を獲得した。指導教員の邢莉教授(モンゴル族)の研究分野はモンゴル族遊牧文化の変遷及び観音信仰である。代表作は『遊牧文化』、『観音-神聖と世俗』などがある。又国の重点プロジェクト『中国少数民族の重要祭日の調査と研究』の研究代表者として、研究グループと共にモンゴル、ウイグル、彝族、土族、苗族の五つの少数民族の祭日の調査を行った。林継富教授は民間文学、土家族の文化及び民間行事の研究を行い、代表作は『民間叙事伝統與故事伝承』、『チベット祭日考』などがある。学生の約半分は少数民族出身する者で、現在モンゴル族、満州族、回族、リー族、白族、ミャオ族、ヤォ族、ハニ族、カザフ族、エブェンキ族、スイ族などの学生が在籍している。2004年に『東北アジア民間信仰シンポジウム』、『神話と民間信仰シンポジウム』を開催、日本学者の渡辺欣雄、日向一雅教授等が出席した。
華中師範大学(武漢)
華中師範大学文学院民間文学研究室は1950年代から「民間文学」の講義を開き、1986年「民間文学」修士課程に昇格、(1997年民俗学修士課程となった)、2000年に華中師範大学民間文化研究センターを設立、2003年中国民間文学博士課程として認可された。2006年に「民間文化研究センター」のスタッフを中心に、「華中師範大学非物質文化遺産研究センター」を設立した。
民間文化研究センター長のリュウシュウフア,劉守華教授は長年にわたって、民間伝説の研究において、多くの業績を上げた。 代表作は『中国民間故事史』、『中国民間故事類型研究』である。陳建憲教授は中国神話学と民俗学を専門とし、代表作は、『神祗與英雄-中国古代神話の主題』、『神話解読—主題分析方法探索』 である。同研究センターは『中国民間文芸学年鑑』を編纂している。2001--2006年巻をすでに完成出版した。2007年巻は編纂中である。
「華中師範大学非物質文化遺産研究センター」は湖北省の非物質文化遺産代表作の申請に当たって、関連事象の調査、資料作成などを行った。2006年に湖北省国家第一次非物質文化遺産保護リストの20項目中の6項目、2007年湖北省第一次非物質文化遺産保護リスト97項目中の8項目は同センターが担当していた。
北京大学
北京大学の民俗学研究は、研究者の所属している学部、研究科で独自で行っている。社会学人類学研究所の教授の高丙中は主な研究分野は民俗誌方法論、文化研究、非物質文化遺産研究などで、著作は『民俗文化與民俗生活』、『現代化與民族生活方式的変遷』などがある。 陳連山助教授は中文系民間文学教研室主任で民間文学を専門とし、著作は『構造神話学』などがある。陳泳超、中文系民間文学教研室助教授、専門分野は中国民間文学史、俗文学現代学術史、呉語地区の民間文学で、著作は『中国民間文学研究の現代軌轍』、 『尭舜伝説研究』などである。民間文学研究室助教授のワンジウァン,王娟は、アメリカ留学経歴がある。陳崗龍(モンゴル族)は、東方文学研究センター助教授、東語系モンゴル語教研室主任である。研究分野はモンゴル民俗学と民間文学、 著書は、『モンゴル民間文学比較研究』、『モンゴル英雄史詩錫林嘎拉珠巴図爾——比較研究と文本彙編』(モンゴル語)などがある。
清華大学
清華大学には、主な研究者が2名いる。リュウ,劉ショウ,暁フン,峰は 2000年京都大学卒、文学博士。歴史系助教授。専門分野は、日本史、中日文化交流史、日本民俗である。著作は『古代日本における中国年中行事の受容』(日本桂書房、2002)などがある。郭于華は社会系教授で研究分野は社会人類学、民間文化研究、著作は『儀礼と社会変遷』(編集)、『死の困惑と生の執着—中国民間喪葬儀礼と伝統的生死観』などがある。
山東大学
山東大学では1980年代から中国言語文学部に民俗学修士課程が出来た。1984 年に社会学系が設立した際に民俗学研究室も設立した。1985年機関誌『民俗研究』を創刊、1987 年 11 月に社会学系民俗学教研室を基礎にして、山東大学民俗学研究所が設立された。2002 年山東大学文史哲研究院が成立、民俗学研究所はその研究院の下に所属することになった。所長は張士閃教授である。
2002年、山東大学は中国民間文学博士課程として認可され、民間文学、中国民間文学史、民俗と民間叙事研究と三つのコースが設置される。チトウ,斉涛教授は中国民俗史と中国古代社会史を専門として、主要著作は『中国民俗史論』などがある。ジャンシシャン,張士閃教授は芸術民俗学を主な研究分野とし、『中国芸術民俗学』等を著した。
華東師範大学
華東師範大学に民俗学研究を行う研究者は3名がいるが、所属学部は別々で、独自の研究を行っている。チェン,陳チン,勤ジェ,建は、中国民俗学会副理事長、華東師範大学終身教授であり、民俗学理論の業績が挙げられる。『中国民俗』、『文芸民俗学導論』、『中国鳥文化』などを著した。田兆元、中文系教授、研究分野は神話学と民間文芸などで、著作は『伏羲考導読』などである。ジョンフラン,仲富蘭は新聞学科教授、 『中国民俗流変』、『中国民俗文化学導論』を著した。
浙江師範大学
浙江師範大学 (金華市)社会学民俗学研究センターは2002年10月設立、2005年に民俗学修士課程として認可された。センター長陳華文教授は浙江省非物質文化遺産研究基地主任を兼任、『喪葬史』、『浙江民俗史』(合著)『呉越喪葬文化』などの著作がある。
そのほかに、各地で研究活動を行っている民俗学研究者が名前、所属、研究分野、著作という順で紹介しておこう。烏丙安 中国民俗学会名誉理事長、民俗学理論、『民俗学原理』、『民俗文化新論』。ジャン,江フェン,帆、遼寧大学文化伝播学院教授、民俗学、民間文学、 『生態民俗学』、『民間口承叙事論』。吉国秀、瀋陽師範大学社会学学院助教授、区域民俗学、民俗学理論、『婚姻儀礼変遷と社会ネットワークの再構築:遼寧省東部山区清原鎮を例として』。トウリフェン,陶立璠、中国民俗学会副理事長。民俗学理論、少数民族民間文学、『民俗学概論』(日本語訳あり)。リュウ,劉シ,錫チェン,誠、国家非物質文化遺産保護専門家委員会委員、民間文学、学術史、『20世紀中国民間文学学術史』、『民間文学:理論と方法』。イウェン,苑リ,利、中国芸術研究院研究員、東アジアの民俗文化、『韓国民族文化源流』、『中国民俗学教程』、『文化遺産報告-世界文化遺産保護運動的理論與実践』。柯楊、中国民俗学会副理事長、中国民間文化遺産保護プロジェクト専門家委員会委員、民間文学、 『詩と歌の狂歓節—花儿と花儿会の民俗学研究-』、『民間歌謡』。ウ,吴ジェン,真、南開大学中文系古代文学教研室、道教史、民間信仰、宗教社会史、『民間神歌の女神叙事と機能—粤西地区冼夫人神歌を例として』、『民間信仰研究三十年』。チャン,張ボ,勃、山東師範大学歴史文化と社会発展学院助教授、歴史民俗学 祭日研究、『国家権力の営みから民間伝統へ:中和節の故事』。チェント,鄭土ユウ,有、復旦大学中文系教授、民間文学、民間信仰、呉語地域の民俗調査、『中国城隍信仰』、『吴語叙事山歌演唱伝統研究』。フアン,黄 ジン,景ジョン,春、上海大学 民間文学、道教文学、『中国古代小说仙道人物研究』、『民間伝説』。チュウ,祝シュウリ,秀麗、中国科学技術大学科技伝播與科技政策系、民間文学。 チュウ,邱グオ,国ジェン,珍、温州大学教授、民俗誌、『浙江畲族史』『中国民俗通誌•医薬誌』。ファン,黄タオ,涛、温州大学文学院教授、言語民俗学、祭日研究、『語言民俗と中国文化』。シャ,夏ミン,敏、集美大学民間文学與芸術遺産研究所所長、民間文化、『初民の宗教と審美迷狂』。 チェン,陳ジン,金ウェン,文、広西民族大学文学院教授、民間文学、『孔子伝説の文化審美研究』。 チョウジョン,趙宗フ,福、青海省社会科学院、チベット高原の民俗、『青海民俗誌』。
5.民俗学関係の雑誌
『民俗研究』 山東大学社会学研究所発行、1985年創刊、中国でもっとも権威ある民俗学学術誌である。編集委員会主任は斎涛、編集長は張士閃。コラムは、学術論壇、フィールドワーク報告、民俗史、民俗学史、書評などがある。季刊。
『文化遺産』 中山大学中国非物質文化遺産研究センター発行、 前身は『民俗学刊』、2000年創刊、編集長葉春生。2004年に「中国非物質文化遺産」に改名、2008年に「文化遺産」に改名した。民間戯曲、華南地域の民俗調査報告など、幅広い内容の論文を掲載している。そのほか、積極的に外国学者の論文を掲載する。いままでに日本学者の櫻井龍彦、岩本通弥、倉石忠彦、宮本袈裟雄などの論文が掲載された。季刊。
『民間文化論壇』 中国民間文芸家葉会発行、民俗学、文芸学、社会学、人類学、考古学、地理学、歴史学など幅広い内容の論文を掲載する、外国の理論や方法も掲載する。研究論文、フィールドワーク、学術討論、方法論研究、文化遺産保護、翻訳、学術史、学術通信などのコラムが設けている。 季刊。
『民族文学研究』中国少数民族文学研究の専門誌で、中国社会科学院民族文学研究所が1983年11月に創刊、古代少数民族作家文学研究、現代少数民族作家作品評論、民族民間文学論壇、理論思考と建設、民族文化與民族文学比較研究、学術著作紹介、国外研究、学術情報等のコラムを設けられている。季刊。
『民族芸術』、1985年に創刊、広西民族文化芸術研究院発行、民間芸能の論文が多いことが特色である。季刊。
そのほか、各大学で出版されている研究紀要にあたる『学報』として、『北京師範大学学報』、『中央民族大学学報』、『広西民族大学学報』、『河南社会科学』などに民俗学関係の論文が比較的に多く掲載されている。
結び
この十年間中国民俗学にとっては大きな転換期といえよう。研究体制の整備、理論方法への関心、フィールドワークの普及、研究分野の拡大、隣接する社会学、人類学、歴史学などとの融合など、民俗学の研究は着実に進歩を遂げた。 また日々頻繁となりつつあるアメリカ、日本、ヨーロッパなどとの交流は中国民俗学者の視野の拡大に繋がっている。非物質文化遺産保護は民俗、民俗学の社会認知度を向上させ、研究環境を改善させる一方、さまざまな課題も提示した。産業化、グローバル化が進む中、中国人の生活様式は大きく変容しつつある現在、従来の研究対象とする民間伝承の変容、消失などを直面している民俗学は、現代の問題に取り組む現代科学として再生し、今日解決を迫られている問題に対して解答を出す学問として成長しなければならない、それが、中国民俗学者の課題である。
参考文献
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洪長泰[アメリカ] 『到民間去』 董暁萍訳,上海文芸出版社1995年
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―『村落廟会的伝統及其調整』、(郭于華主編『儀式與社会変遷』)社会科学文献出版社、2000年)
劉暁春 『从「民俗」到「語境中的民俗」——中国民俗学研究的范式転換』、2009年3月、未刊
『劉魁立民俗学論集』 上海文芸出版社,1998年
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烏丙安 『中国民俗学』(新版) 遼寧大学出版社 1999年
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呉真 『民間信仰研究三十年』 『民俗研究』2008年第4期
葉春生編 『典藏中山大学民俗学叢書』、黑龍江人民出版社、2004年
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張紫晨 『中国民俗與民俗学』 浙江人民出版社,1985年
『鐘敬文文集•民俗学卷』 安徽教育出版社 2002年
『鐘敬文文集・民間文芸学卷』 安徽教育出版社,2003年。
周星編 『民俗学的歴史、理論與方法』 商務印書館、2006年
附記 本論の執筆にあたって、愛知大学の周星教授、首都大学東京の何彬教授からご助言をいただきました。心より感謝の意を表したい。
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