蘇民祭はほぼ日本全国に分布しているが特に岩手県の場合、記録保存のために国指定無形民俗文化財となっている。黒石寺の場合は蘇民将来の護符を奪い合う形態をとっており、一千年以上の歴史を持つといわれ、祭日は旧正月七日から翌日早暁にかけて古式通りに行われる。 |
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●別当登り(午前2時~) 梵鐘の合図で寺務所に集り、手木が祓人(はらいびと)に配られ、別当(住職)と蘇民袋が守護役・祓人に守られ、ほら貝・太鼓を従えて薬師堂に登り、厄災消除、五穀豊穣の護摩を焚く。 ●鬼子登り(午前4時~) 鬼子は数え七歳の男児二人で、麻衣をつけ、木斧と小槌を持って鬼面を逆さに背負い、大人に背負われて松たいまつや葦たいまつと共に行列を組んで本堂に入る。鬼子が本堂に入った後、本堂外陣に護摩台が出され、別当がその上でと曼荼羅米(まんだらまい)十二支の形に作った餅をまく。次に本堂内から火のついた松たいまつが二把持ち出され、護摩台の上で合わされる。鬼子を背負った人がその火の囲りを三回まわりながら火の上を飛び越し本堂に戻る。 |
●蘇民袋争奪戦(午前5時~) 鬼子が本堂に戻ると、袋出しと呼ばれる男たち五、六人が蘇民袋を抱きかかえるようにして外陣に出、争奪戦が始まる。 蘇民袋の中には、小間木と呼ばれる、疫病の護符は将軍木(かつのき)を削って六方形とし、「蘇民将来子孫門戸☆」の九文字が書かれ、寸角に切ったものが入れられている。蘇民袋も祈願者が一日で紡いだものである。 やがて、小刀で袋が裂かれ、中の小間木がこぼれ落ちる。 集った善男、善女はその小間木を拾ってお守りとするが、裸の男たちはさらに空になった袋の争奪戦をくり広げ、境内の外になだれ出、明け方まで2時間余りも激しい取り合いを続ける。 最終的には袋の首の部分を握っていたものが取主(とりぬし)となって争奪戦は終了する。 境内を出た集団が東に向かうか、西に向かうか、どちらの集団が凱歌を上げるかによって、その年どちらの土地が豊作になるかが決まるという占いの要素も持っている。 |
从泼寒胡戏到苏民祭:不仅仅是裸男
作者:吴真 | 中国民俗学网 发布日期:2010-03-03
(本文刊于《南方都市报》2010年3月2日)
文章来源:民俗学博客-爪哇堂 2010-03-03 10:13:36
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