本书序
世界遺産──おそらく日本では、その名を冠したテレビ番組も複数あるので、その名を知らない人はほとんどいないだろうし、また一度は登録の延期された奥州・平泉の正式登録をめぐって、その一喜一憂が盛んに報じられたことからも窺えるように、これに登録されることは、絶対的な「善きこと」として語られ、またそう信じられている。世界的機関であるユネスコ(国連教育科学文化機関)あるいは世界の人びとに、その「顕著な普遍的価値」が認められたとして、慶賀、喝采の声が寄せられ、お祝いムードに包まれるが、これに疑念を差し挟むことも許されない雰囲気が、この日本には充満している。
一九九二年、日本は遅ればせながら、一九七二年から発効していたユネスコの世界遺産条約(正式名称は「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」)に調印、加盟する。批准が遅れたのは、日本には独自の文化財保護法があって、それと条約の理念や体系が異なるとされてきたからである。この加盟以降、日本の文化財保護法を含む文化政策や、それと連動する地方政策は、大きく転換をしていく。全国各地で、地元の地域文化を世界遺産に登録しようとする運動が巻き起こり、登録運動を行っている自治体やNPOなどは、今日、ネット検索で確認されるものだけで、少なくとも数十にのぼる。地方行政が火を点け牽引した半官半民の住民運動も多く、それまでの地域住民の主体的な文化運動(郷土運動)や、延いてはそれらと深く関わってきた民俗学にも、多大な影響を及ぼしはじめる。一方、ユネスコ・世界遺産条約の側でも、石造記念物を標準にした西欧に遍在するあり方への反省から、一九九二年には新たに「文化的景観」なるサブ・カテゴリーが設けられ、対象範囲が拡大された。これに呼応して日本の文化財保護法のカテゴリーにも二〇〇四年「文化的景観」が加わるが、ユネスコのいう‘Cultural landscape’と文化財保護法のその規定とでは、定義が微妙に異なっている。後者によれば、文化的景観とは、「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地」であり、たとえば棚田や里山・干潟のようなものを指し、それらはその景観をもたらした農山漁村の暮らしをも視野に収めはじめる。これに加えて、世界遺産条約とは別の条約となるが、有形の世界遺産条約の無形版ともいえる「無形遺産条約」(正式名称は「無形文化遺産の保護に関する条約」)が二〇〇六年に発効し、その対象範囲はさらに広がっていく。
この無形遺産条約の第二条2が定義する分野は、(a)口承による伝統及び表現(無形文化遺産の伝達手段としての言語を含む)、(b)芸能、(c)社会的慣習、儀式及び祭礼行事、(d)自然及び万物に関する知識及び慣習、(e)伝統工芸技術の五つにカテゴライズされているが、これらがこれまで民俗学がもっぱら研究してきた対象と大いに重複しているのは論をまたない。詳しくは本論に譲るが、この条約の起源ともいうべき、第一の根拠となったのは、一九八九年のユネスコ総会で採択された「伝統的文化及び民間伝承の保護に関する勧告」であり、そこではまさに民間伝承(folklore)に焦点があてられていた。その後、このフォークロアは無形文化遺産(intangible cultural heritage)へと変更され、必ずしも両者は等号の関係ではないが、すでに文化財保護法のなかに無形文化に関する保護制度のあった日本や韓国とは異なり、この条約を「非物質文化遺産」と称する中国では、一九九七年に「三級学科(科学)」から「二級学科」に格上げされた民俗学が、この条約の批准をうけて莫大な資金投与のなされた国家的プロジェクトのなかに組み込まれ、その需要が著しく拡張する。多くの民俗学者が「非物質文化遺産」のリスト作成のための調査に「動員」され、そのポストも激増したが、他方で民俗学への負の影響も懸念されることとなる。その状況は日本や韓国でも同様であって、歴史的起源のはっきりしない習俗をサルベージし、復原主義的に構成せざるを得ない隘路に陥りやすく、民俗学の科学性が問われる事態も迎えている。
世界遺産条約への批准を機に、文化的景観を経て、特に無形遺産条約で弾みがついて広がっていく一連の動きと、二〇〇〇年代初頭から日本各地に運動を加速化させていった世界遺産登録熱ともいうべき時代的風潮(世相)を、私たちは、ひとまず「世界遺産時代」と呼ぶことにし、それ以前と何が異なっているのか、これに至る前史や国内法の文化財保護法に与えた影響、また「遺産」の実質を担う地域社会の変化のプロセスなどを、同じ問題群を抱える韓国の状況と比較対照しつつ、その問題点を多面的に照射することにした(韓国の世界遺産条約加盟は一九八八年、政府の取組みやその登録ブームは日本以上に熱い)。
本書では日韓の民俗学者を基軸に、文化人類学・地理学・社会学・歴史学の研究者を交え、今、生起している矛盾と葛藤の中にある現実を浮き彫りにする。それとともに、無形文化遺産が対象化されるもうひとつの根拠は、二〇〇一年ユネスコ総会での「文化の多様性に関する世界宣言」であるが、果してこの条約で、文化の多様性を維持することが可能なのかも問い掛ける。何を文化(遺産)と認定するか、また管理の手法もそれぞれの社会で異なるはずのローカルな民俗文化に対して、グローバル・スタンダードを設定する矛盾(ナショナライズされることでの画一化)や、国境や民族あるいは地域を超えて波及的に広がるフォークロアの性格に対して、条約定義の不整合による弊害などが、随所で顕在化している。その典型例が韓国の江陵端午祭の登載に対する中国側の反発と報復であり、起源や所有権をめぐって生じた論争は、両国民のいがみ合いや嫌悪感を増大させる国際紛争の火種として、「平和構築」を謳ったユネスコの理念とは明らかに乖離している。さらに加えれば、この条約がローカルな文化をナショナル・ブランド化し、観光資源化するための、グローバルな権威付けのシステムとして機能しているとしたなら、その現実は無形文化の「保護」という名の「開発」と呼ぶ方が似つかわしい。
世界遺産といっても、本書で言及されるのは、繰り返すならば、民俗学が主として対象としてきた、生活者の身辺卑近な自然や文化に関するものである。世界遺産条約の「文化的景観」と無形遺産条約の範囲であるが(本書では、この日韓の批准以降の二条約を、場合によって世界遺産2条約・ユネスコ2条約などと呼ぶ)、生活者の身近な身の回りの自然ということで、一部、世界自然遺産も含めている。
なお本研究は、二〇〇八年度から二〇一〇年度まで行われた、科学研究費基盤研究(B)「文化財保護制度における世 界遺産条約の戦略的受容と運用に関する日韓比較研究」(課題番号二〇三二〇一三三、研究代表者/岩本通弥)の研究成果であるが、二〇〇五~二〇〇七年度にほぼ同じ研究分担者・研究協力者で実施した、同基盤研究(B)「地域資源としての〈景観〉の保全および活用に関する民俗学的研究」(課題番号一七三二〇一三八、研究代表者/岩本通弥)の成果を含むほか(その研究成果報告書は二〇〇八年に刊行済み)、韓国の科研プロジェクト「無形文化財の創出と流用─韓国民俗学再考」(研究代表者/南根祐)との協業の下で実現した。また本書は、執筆メンバーの多くが重複する、岩本通弥編『ふるさと資源化と民俗学』(吉川弘文館、二〇〇七年)の続編としても位置づけられる。本書の刊行が生活者の冷静な「判断」の一助になることを切望する。