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民俗学相关的日语资料参考文献目录

民俗学相关的日语资料参考文献目录

主要参考文献(人名以日语假名五○音为序)

赤田 光男等著 ≪日本民俗学≫ 弘文堂 一九八四
赤田 光男等編 ≪講座日本の民俗学≫(第一〇巻 民俗研究の課題)雄山閣 一九九八
大藤 時彦 ≪日本民俗学史話≫ 三一書房 一九九〇
大間知篤三等編 ≪日本民俗学大系≫(2) 平凡社 一九五八
新谷 尚紀編著 ≪民俗学がわかる事典≫ 日本実業出版社 一九九九
瀬川 清子等編 ≪日本民俗学のエッセンス≫ ペリカン社 一九七九
        田中 宣一 <比較研究法>≪日本民俗研究大系≫(第一巻 方法論)日本民俗研究大系編集委員会編 国学院大学 一九九一
福田アジオ ≪日本民俗学方法序説≫ 弘文堂 一九八四
      ≪柳田国男の民俗学≫ 吉川弘文館 一九九二
福田アジオ等編 ≪日本民俗学概論≫ 吉川弘文館 一九八三
        ≪講座日本の民俗学≫(第一巻 民俗学の方法) 雄山閣 一九九八
         ≪日本民俗大辞典≫(上・下) 吉川弘文館 一九九九~二〇〇〇
日本民俗学会編 ≪民俗学と学校教育≫ 名著出版 一九八九
        ≪年表・日本民俗学会の五〇年 1948~1998≫ 二〇〇〇
        国立歴史民俗博物館 ≪国立歴史民俗博物館研究報告≫(第二七集 共同研究<日本民俗学方法論の研究>) 一九九〇
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[主なネタ本など]
大塚英志『「伝統」とは何か』ちくま新書
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店
村井紀『新版 南島イデオロギーの発生』岩波現代文庫
福田アジオ『柳田国男の民俗学』吉川弘文館
川田稔『柳田国男』吉川弘文館
橋川文三『柳田国男』講談社学術文庫
橋川文三『黄禍物語』岩波現代文庫
谷川健一『柳田国男の民俗学』岩波新書
岩本由輝『もう一つの遠野物語』刀水書房
播磨学研究会編『再考 柳田国男と民俗学』神戸新聞総合出版センター
宮田登編『民俗の思想』(「現代民俗学の視点」第3巻)朝倉書店
姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ』岩波現代文庫
E. リーチ『社会人類学案内』同時代ライブラリー/岩波書店
岩波講座『日本通史 第14巻/近世4』岩波書店
岩波講座『日本通史 第18巻/近代3』岩波書店
柳田国男『柳田国男全集』ちくま文庫
柳田国男『遠野物語・山の人生』岩波文庫
柳田国男『青年と学問』岩波文庫
柳田国男『妖怪談義』講談社学術文庫
柳田国男『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫
柳田国男『蝸牛考』岩波文庫
柳田国男『海上の道』岩波文庫
江上波夫『騎馬民族国家』中公新書
大塚久雄『共同体の基礎理論』岩波現代文庫
宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫

文献および脚注

^ 芥川の短編作品「神神の微笑」。「神神の微笑」はネット上の青空文庫で閲覧可 他にISBN 4101025045 ISBN 4480020845など 。
^ これに類似する現象としては、(インドの圧倒的な大衆が信奉する)ヒンドゥー教のシステムでも、他の宗教の究極の信仰対象を勝手に、ヒンドゥーの神々のひとり、という扱いにしてしまうことが知られている(ブッダがヒンドゥー教の考え方を乗り越えるのに成功し)。その結果仏教が台頭した時も、ヒンドゥー教の指導層のバラモン階級は(対抗策として)ブッダもあくまでヒンドゥーの神々のひとり、という扱いにしてしまったことが知られている。また、現代ではイエス・キリストもヒンドゥー教の神々のひとりという位置づけにされることもあると知られている(NHKのある番組でもヒンドゥー教徒らがヒンドゥーの神々のひとりとしてのイエス・キリスト(の肖像)に、他の神々同様に、蝋燭の火をささげる様子が放送されたことがある)。
^ 『世界の宗教と戦争講座』徳間書店2003年 ISBN 4198919062。 『逆説の日本史』シリーズ。『井沢式「日本史入門」講座 1(和とケガレの巻)』徳間書店2006年 ISBN 9784198622312。など
^ 宗教信じない75% 神仏すがりたい54% 読売新聞が世論調査 クリスチャントゥデイ 2005年9月1日
^ 2002年(平成14)年12月31日現在、文化庁「宗教年鑑」(宗教統計調査)による


[主な典拠文献]
エリアーデ『永遠回帰の神話』未来社
阿部謹也『西洋中世の愛と人格--「世間」論序説』朝日新聞社
(同普及版『「世間」論序説--西洋中世の愛と人格』朝日選書)
阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書
碓井益雄『霊魂の博物誌』河出書房新社
義江彰夫『神仏習合』岩波新書
吉野裕子『蛇』法政大学出版局 講談社学術文庫
諏訪春雄『折口信夫を読み直す』講談社現代新書
折口信夫『古代研究』(民俗学編)中公文庫
大村英昭『日本人の心の習慣--鎮めの文化論』NHKライブラリー
梅原猛『日本人の「あの世」観』中公叢書 中公文庫

 「アメリカと日本では違う「政教分離」」
[主なネタ本など]
安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書
阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書
宮崎哲弥「ならば靖国神社を『国有化』せよ!」朝日新聞社『論座』2002年11月号所収
山折哲雄「日本人の心を引き裂いた『知』のさかしら」中央公論新社『中央公論』2003年3月号所収
桂島宣弘「復古神道と民衆宗教――幕末宗教史研究序説」

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(1) 例えば、洪淳 「韓日交渉史研究序説」、田村・洪〔1981〕所収、参照。

(2) 宮家・由谷「山岳信仰と修験」、『仏教文化事典』(佼成出版社、1989年)でも、このような10世紀の前と後とにおける、日本の仏教文化の断絶を、指摘した。

(3) この点については、由谷「白山修験道の展開」、『白山-自然と文化-』(橋本確文堂、1992年)、参照。

(4) 例えば、神尾『契丹仏教文化史考』第一書房(復刻)、1982年、など。

(5) 例えば、小嶋芳孝「高句麗・渤海との交流」、網野(編)『日本海と北国文化』講談社、1990年。また、高句麗時代も含めたこの地域の考古学的調査の古典的業績(1930~60年代頃)を、新たにまとめたものとして、三上次男『高句麗と渤海』吉川弘文館、1990年、など。

(6)この助成については、〔追記〕を参照されたい。

(7) 森浩一(編)『古代日本海文化』小学館、1983年、同編『古代の日本海諸地域』小学館、1984年、同編『東アジアと日本海文化』小学館、1985年、など。

(8) 井上秀雄『任那日本府と倭』東出版、1978年(重版)、参照。

(9) 李進 『広開土王陵碑の研究』吉川弘文館、1972年、など。

(10) 鈴木清民(他)『伽耶はなぜほろんだか』大和書房、1991年、など参照。

(11) 石田英一郎「歴史感覚ということ」、『日本古典文学大系月報 第二期最終回配本(日本書紀 上)』岩波書店、1967年、参照。同論において石田は、「同祖論」のような枠組に問題があるのではなく、それがイデオロギー的に--一方で帝国主義的に、他方で攻撃命題として、マルクス主義の側から--利用されることが問題であるとし、古代における日韓両文化の関連性については、両国研究者の健全な「歴史感覚」に待ちたい、という主旨の議論をしており、注目される。

(12) 上田正昭(他)『高句麗と日本古代文化』講談社、1986年、など参照。

(13)例えば、下出氏の気多神社の位置付けを踏襲しながら、結局は環日本海の文化交流→日本海文化の浮上、的な言説を展開するものとして、浅香年木「気多の神と『異国』の王子」、『歴史手帖』第11巻5号、参照。

(14) 由谷『民俗研究の視角』杉山書店、1992年、第五章参照。

(15) 例えば、岩鼻通明は、川口久雄〔1987〕の書評(『山岳修験』第4号、1988)の中で、川口のまんだらや絵解きに関する議論が、環日本海文化圏を意図して敦煌資料との関連性が議論されているが、それはヨリ成立の古い熊野観心十界図を無視したものであるし、その他の川口が言及する事例も、(環日本海より)むしろ「汎ユーラシア的」と見做せる文化事象が多いのでは、と指摘している。

(16) 福井康順(ほか編)『道教3』平河出版社、1983年、223~225頁、242~245頁、など参照。

(17) 若尾五雄「近畿山岳信仰と丹生」、五来(編)『近畿霊山と修験道』名著出版、1978年、参照。なお、この研究自体は、高野山その他の山岳宗教・信仰と、水銀鉱脈との関係を問題視したもので、その視角自体は斯学に重要な貢献をしたと思われるが、道教の金丹術などを介在させてその間の事情を憶測する立論に、筆者は問題が残るように思われたので、あえてここで言及した次第。

(18) 吉野裕子『陰陽五行と日本の民俗』人文書院、1983年、村山修一『日本陰陽道史総説』塙書房、1981年、同氏『習合思想史論考』塙書房、1987年、など参照。なお、吉野〔1983〕に対する批判的な評価として、井上順孝氏による同書の書評(『東京大学宗教学年報』第1号、1983年、所収)を参照されたい。

(19) 例えば、今西龍『新羅史研究』国書刊行会(復刻)、1970年、中西功『海東の仏教』国書刊行会、1978年、金知見(他編)『新羅仏教研究』山喜房仏書林、1978年、鎌田茂雄『朝鮮仏教の寺と歴史』大法輪閣、1980年、東国大学仏教研究所(編)『韓国仏書解題辞典』国書刊行会、1982年、など。

(20) 例えば、上田正昭「古代の日本と高句麗文化」、同氏他「国際シンポジウム高句麗と日本古代文化」、いずれも『高句麗と日本古代文化』(講談社、1986年)、所収参照。

(21) 本文で以下触れる論考の他、田村『飛鳥・白鳳仏教論』雄山閣、1975年、など。残念ながら本助成では、同書を入手できなかったが、田村〔1980〕の「あとがき」によると、古代の朝鮮仏教と日本仏教とを、「漢訳仏教圏」という視野から位置付けたものだという。

(22) 田村「神仏習合の源流をめぐって」、『神道宗教』第119号、1985年。

(23) 由谷「築山を建造する祭礼」、『加能民俗研究』第13号、1985年。長坂一郎「『泰澄和尚伝』と越知山」、『福井県立博物館紀要』第1号、1985年、参照。なお、同論考の白山修験研究における評価については、由谷『白山・石動修験の宗教民俗学的研究』(岩田書院、1994年)で議論している。


言及文献一覧(著者名アルファベット順)

秋月観暎(編) 1988 『道教と宗教文化』平河出版社
網野善彦(編) 1990 『日本海と北国文化』講談社
浅香年木 1983 「気多の神と『異国』の王子」、『歴史手帖』第11巻5号
--  1984 「『泰澄和尚伝』試考」、『古代文化』第36巻5号
車柱環 1990 『韓国の道教』(三浦・野崎訳) 人文書院
福井文雄 1978 「儒道仏三教における気」、小野沢・福永・山井〔1978〕
福井康順(ほか編) 1983 『道教3』平河出版社
福永光司 1978 「総論:第2部 儒仏道三教交渉における気の概念」、小野沢・福永・山井〔1978〕
--  1982 『道教と日本文化』人文書院
平泉澄 1953 『泰澄和尚伝記』白山神社
今西龍 1970 『新羅史研究』国書刊行会(復刻)
井上秀雄 1978 『任那日本府と倭』東出版社(重版)
井上順孝 1983 「書評:吉野裕子『陰陽五行と日本の民俗」、『東京大学宗教学年報』第1号
井上鋭夫 1962 『山の民・川の民』平凡社
石田英一郎 1967 「歴史感覚ということ」、『日本古典文学大系月報 第二期最終回配本(日本書紀 上)』岩波書店
石井昌子 1981 『道教学の研究』国書刊行会
岩鼻通明 1988 「書評:川口久雄『山岳まんだらの世界』」、『山岳修験』第4号
鎌田茂雄 1980 『朝鮮仏教の寺と歴史』大法輪閣
--  1987 『朝鮮仏教史』東大出版会
神尾 春 1982 『契丹仏教文化史考』第一書房(復刻)
川口久雄 1987 『山岳まんだらの世界』名著出版
金知見(ほか編) 1973 『新羅仏教史研究』山喜房仏書林
小林正美 1990 『六朝道教史研究』創文社
小島芳孝 1990 「高句麗・渤海との交流」、網野〔編、1990〕
小柳司気太・飯島忠夫(編) 1987 『道教聖典』心交社(復刻)
窪徳忠 1962 「道教と修験道」、『宗教研究』第173号 → 窪〔1977〕
-- 1977 『道教史』山川出版社
-- 1979 『中国宗教における受容・変容・行容』
久保田量遠 1943 『支那儒道仏交渉史』
洪淳  1975 「七・八世紀における新羅と日本との関係」、田村・洪〔1975〕
-- 1981 「韓日交渉史研究序説」、田村・秦〔1981〕
松田智弘 1988 『古代日本道教受容史』人間生態学談話会
三上次男 1990 『高句麗と渤海』吉川弘文館
三尾裕子 1990 「<鬼>から<神>へ--台湾漢人の王爺信仰について」、『民族学研究』55巻3号
宮家準・由谷裕哉 1989 「山岳信仰と修験」、『仏教文化事典』佼成出版社
森浩一(編) 1983 『古代日本海文化』小学館
--   1984 『古代の日本海地域』小学館
--   1985 『東アジアと日本海文化』小学館
麦谷邦夫 1978 「道家・道教における気」、小野沢・福永・山井〔1978〕
村山修一 1982 『日本陰陽道史総説』塙書房
--  1987 『習合思想史論考』塙書房
長坂一郎 1985 「『泰澄和尚伝』と越知山」、『福井県立博物館紀要』第1号
中西功 1983 『海東の仏教』国書刊行会
小野沢精一・福永光司・山井湧(編) 1978 『気の思想』東京大学出版会
大淵忍爾 1983 『中国人の宗教儀礼』福武書店
--  1991 『初期の道教』創文社
李進  1972 『広開土王陵碑の研究』吉川弘文館
劉枝万 1983 『中国道教の祭りと信仰』全二巻
酒井忠夫(編) 1978 『道教の総合的研究』国書刊行会
重松明久 1973 『中世真宗思想の研究』吉川弘文館
--  1985a 『古代国家と道教』吉川弘文館
--  1985b  「『泰澄和尚伝記』の成立」、『歴史への視点』桂書房
下出積與 1962 「泰澄和尚伝説考」、『日本古代史論集』上、吉川弘文館
--  1970 『石川県の歴史』山川出版社
--  1972 『日本古代の神祇と道教』吉川弘文館
--  1979 「日本の道教研究八十年」、『日本宗教史研究年報』第2号
--  1986 『古代神仙思想の研究』吉川弘文館
砂山稔 1990 『隋唐道教思想史研究』平河出版社
鈴木清民ほか 1991 『伽耶はなぜほろんだか』大和書房
田村圓澄  1975a 「半跏思惟像と聖徳太子信仰」、田村・洪〔1975〕
--   1975b 『飛鳥・白鳳仏教論』雄山閣
--   1980 『古代朝鮮仏教と日本仏教』吉川弘文館

--   1981 「新羅の弥勒信仰」、田村・秦〔1981〕
--   1985 「神仏習合の源流をめぐって」、『神道宗教』第119号
田村圓澄・洪淳 1975 『新羅と飛鳥・白鳳の仏教文化』吉川弘文館
田村圓澄・秦弘 1981 『新羅と日本古代文化』吉川弘文館
常磐大定 1930 『支那における仏教と儒教道教』原書房
東国大学校仏教文化研究所(編) 1982 『韓国仏書解題辞典』国書刊行会
上田正昭 1986 「古代の日本と高句麗文化」、上田ほか〔1986〕
上田正昭ほか 1986 『高句麗と日本古代文化』講談社
若尾五雄 1978 「近畿山岳信仰と丹生」、五来(編)『近畿霊山と修験道』名著出版
吉野裕子 1983 『陰陽五行と日本の民俗』人文書院
吉岡義豊 1959 『道教と仏教 第一』日本学術振興会
--  1970 『道教と仏教 第二』豊島書房
--  1976 『道教と仏教 第三』国書刊行会
由谷裕哉 1984 「道教」、宮家(編)『修験道辞典』東京堂出版
--  1985 「築山を建造する祭礼」、『加能民俗研究』第13号
--  1986 「地域修験道研究への一視角」、『加能民俗研究』第14号
--  1987 「泰澄伝承における臥・浄定両侍者について」、『北陸宗教文化研究会会報」第2号
--  1992a 『民俗研究の視角』杉山書店
--  1992b 「白山修験道の展開」、『白山-自然と文化-』橋本確文堂
--  1993a 「加賀白山における排仏論」、『山岳修験』第11号、名著出版
--  1993b 「近世地方霊山縁起の宗教的意味とその背景」、『民俗宗教』第4号、東京堂出版
--  1994  『白山・石動修験の宗教民俗学的研究』岩田書院
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        安丸良夫・宮地正人『宗教と国家―日本近代思想大系第5巻』岩波書店、1998年。
参考文献

小熊英二 単一民族神話の起源<日本人>の自画像の系譜 新曜社  1995年
南  博 日本人論 明治から今日まで         岩波書店 1994年
沼尾 実 多文化共生をめざす地域づくり        明石書店 1996年
尹 健二 「在日」を考える              平凡社  2001年
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